日本神道の男根信仰

「出羽の国温海(あつみ)の街道沿いでは、幾箇所にも、岩から海へシメナワが十字に張られて、その下には、木の男根が置かれて、道を飾っていた。それらは非常に高く、長さがあり、これは私には不愉快に思われた。そこで私は住民に尋ねると、彼らはこれは古い風習です。と答えた。私は、このシメナワの上にたくさんの紙片がぶらさがっているのを見た。婦人たちはそれを美しい恋人をとりもつものとして、ここにひそかにぶらさげていることがわかった。農民は石でできた男根と女陰を、ウジガミのシンタイとして崇めているところが多かった。」
「あらゆる道、とくに十字路およびに畑にそれを拝めるために赤く塗った男根を示す石や木の柱を立てた。橋の欄干にも、このような男根の柱がついていた」
(『東海記』医師・橘南渓の旅行記、寛政7、1795年)
 
鹿児島↑
 
「仙台の南方にある名取郡笠島にある道祖神社、岩手県岩手郡巻堀神社の祭神は『金精大明神』だが、金精とは男根のことである。神戸の近くの明石から陸の方へ8マイル(12キロ)のところに神出の礼拝所があり、土地では『大石の宮』と呼び、大きな石の祭壇は巨大な男根であった。この宮は格子にはめ込まれて、それを通して約1.3メートルの男根を見ることができる。・・・」
(『日本における性器崇拝』エドムント・バックレイ、1895年)
 
バックレイは 日光の金精峠の祭壇、宇治山田の伊勢神宮の北西の奥に「典型的な男根と女陰を祀った祭壇があった」・・・と書いている。