再掲載 中山太郎の『売笑3千年史』



折口信夫は遊女を宗教的女性として捉え、「吉原に遊びに行くと饗宴をひらく(中略)祭りの時招かれた神が饗宴を受けるのと同じ形を受けるのである。唯違うのは客がその費用を払うだけ」「宗教的な役割をになった」と書いている。(『巫女と遊女と』「折口信夫全集」17巻)

遊女が神社から生まれたことを前提としている。

「売笑は社会暗黒史である。・・・堕落史であり、腐敗史である。国辱史である。」(P18)と書いた

中山太郎の『売笑3千年史』  去年7月ちくまから復刻版が出ている。

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                                 遊女を具して降臨した賀茂神

播磨国損保郡室津町の鎮守賀茂神がこの地に降臨した際、遊女を召し連れられたので、ここが日本の女○の始めであって、しかし今に賀茂祭に遊女が奉納して神いさめをするのであると伝えられている。(播磨万宝智恵袋所収の播陽名跡志)(P22)

この伝説は相当古くから民間に流布されていて、かつ現時点でもなお彼らの強い信仰をつないでいるのである。
(『日本伝説叢書 播磨の巻』)

摂津国の官製大社住吉神社に近い泉州堺の乳守でも、この地こそ神功皇后の勅許以来日本最初の遊郭であって、同じく住吉社の祭典に遊女が一度ならず2度までも参加するのも、これに原因するのであると主張している。(日本地誌体系本の摂陽郡談)
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そこで中山太郎は、「我が国の遊女なる者は、ほとんど年時の計算も許さぬほどの太古である神代から存した」「賀茂神の降臨とはすなわち民族の移住を意味するものであるから、同神がハハの国jから遊女を随伴した」「我が国の遊女は遠い昔から神社と密接な関係があった。」(P23)と書いている。そして「性的解放は、①ある限られた日に行われ、②神の名において行われてきた」(P33)というのだ。

この神の名において行われてきた性解放の儀式として存在するものとして

豊後国日田郡夜明村では、毎年8月15日(明治以前は7月)の夜に盆保々という行事がある。この村は一村の男女が総出となって綱引きをする。そしてこの夜は当年14歳に達した女子は必ず男子に許すことに定められている。もしこの夜に許さぬ女子があれば不具者として待遇され、往々にして結婚を拒否され、または婚期が遅れることになっている。(『郷土趣味12号』)(P34)

○同じ豊後の臼(木へんに許の右)町の近郊たる某村でも、8月には鎮守祭の祭礼がおこなわれるが、この夜は既婚といわず未婚とを問わず、村内の婦女は必ず3人の男子に許さねばならぬ掟となっていた。それがため若い美しい女子は掟の責任を容易に果たすことができるが、年取った醜婦は一人の男子さえ得ることができずに夜が明けるという、悲しい喜劇が繰り返されたそうである。(『郷土趣味12号』)(P35)

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