いまだに共産主義者なのか?=有田芳生氏の論考を考察する=

 
 
 

有田は、ソ連と東欧共産主義国家の崩壊について、それが共産主義という思想そのものの欠陥によるものだとは考えないらしい。

著作『日本共産党への手紙』のあとがきでこう書いたという。

日本共産党が時代の変化に敏感に対応して、どのような『再出発』をしていくのか。それは、ひとり共産党員や共産党支持者だけの問題ではない。私の尊敬する政治家は『その民族がどのような共産党を育てるかは、その民族の運命に関わる』と常々語っていた。ソ連・東欧の歴史的な政治動向は、そのことを世界の人々に劇的に明らかにした』

それは共産党の小林栄三・思想建設局長(当時)の論文の考え方の延長にあるようだ。小林栄三は

『東欧社会主義の崩壊が党内に「不信感や動揺」を生んだため、かつて党が分裂した「五〇年問題」後の「党の再出発のときと同じぐらいの覚悟と構え」が必要だ』

という考え方をしていたらしい。

また、党内で行われている情報統制について

『18歳で入党していらい20年間。『赤旗』の配達と集金だけは怠らなかった私だが、「規律違反」を自己批判しないから「党員としてふさわしくない」と党から排除されたのだった。』

共産党幹部の著作は、それが誰のものであろうとも関係部局の「点検」を受けることを私は知っている。誠実な榊さんが私の名前をいっさい書かないのは、自己規制でないとすれば、組織の意志にほかならない。』

と書くが、その情報統制と圧迫の原因については、

『戦後も一九五〇年代のレッドパージだけでない。大企業ではいまでも共産党員であることを唯一の理由に「村八分」が行なわれているのではないか。ところがそうした行為とは対極にあるはずの日本共産党員といえども、その精神構造を抱え込んではいまいか。』と述べている。

つまり、共産党員も外の社会のやり方を吸収し、「その精神構造を抱え込んだ」というのである。

しかし、これは非常に盲目的な考察と言えるだろう。

なぜなら、ほとんど全ての共産主義国家の内部で厳しい統制がなされ、それに適合しない人達をパッシングし、粛清してきたからである。

ソ連で東欧で中国でカンボジアベトナム北朝鮮で厳しい統制がなされ、どこでも粛清の嵐が吹いた。いわば「統制と粛清」は20世紀の共産主義社会における定番である。そんな事は赤軍派の内部粛清や新左翼内ゲバ、ソルゼニーツインの著作、脱北者の体験談などに十分表現されているではないか?

私が思うに、共産主義という思想には何かとてつもない欠陥があるのだ。しかし有田はその欠陥に対して盲目である。それは有田だけにある精神構造ではなく、広く現在の共産主義者に共有されている精神バイアスなのである。

 




 

【『律法』の思いやり規定】





『律法』には「思いやり規定」と言うべき部分がある。

例えば、こんな風に・・・・


貧しく乏しい雇い人は、同胞であれ、またはあなたの国で、町のうちに寄留している他国人であれ、それを虐待してはならない。

(『申命記24章11)


つまり、誰かを雇ったら、虐待するな!いじめるな!・・・と言うのである。

現在世界では、人権宣言がなされ、労働者の権利を守るための法が整備されている。しかし、つい何十年か前までは日本でも雇用者に対する虐待のような事はしばしばなされていた。

ところが、イスラエルの神はもう3000年以上もの昔に、神の絶対命令として「雇用した人を虐待するな」と命じたのであった。

しかも「・・・他国人であっても・・・」と言われているのである。

もう少し読んでみよう。


 賃金はその日の内に支払い、それを日の入るまで延ばしてはならない。彼は貧しい者で、その心はこれにかけているからである。そうしなければ彼はあなたを主に訴えて、あなたは罪を得るであろう。」

(『申命記24章11~15)


貧しい者は、金をもらえなければその日の食事にも困るかも知れない。だから、その日の内に払ってやりなさい・・・と言う命令である。

なんてきめ細かい”思いやり”であろうか?

神様は、「気配り」の行き届く方なのである。他国人にさえ、差別なく気遣うように言われている。


寄留の他国人または孤児のさばきを曲げてはならない

(『申命記24章17)


外国人や孤児は立場が弱い。
だからと言って、不法な事を行ったりしたら、承知しないぞ・・・と言われる。


あなたが畑で、穀物を刈る時、もしその一束を畑におき忘れたなら、それを取りに引き返してはならない。それは寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。

申命記24章19)


夫を失った寡婦も又弱い立場である。
何かがあって、働き手がいなくなっても生きて行けるように・・・

あなたがたの地の実りを刈り入れる時は、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈り入れの落ち穂を拾ってはならない。あなたの畑の実を採りつくしてはならない。またあなたのぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。貧しいものと寄留者とのために、これを残しておかねばならない。私はあなたがたの神、主である。

(レビ19章9~10)


これは有名な絵画「落ち穂拾い」のモチーフである。(ルツ記)
               落ち穂拾い
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モーセを通して、律法を与えられた時、神様は何を考えておられたのだろうか?

言うまでも無い。

寄留の他国人も親のいない孤児も夫のいない寡婦も、餓え死んだりしない社会を望まれたのである。愛と思いやりにあふれた社会を造ろうとされたのである。

後にイエス様はこう言われた。


(もっとも大切な戒めは)
 「心を尽くし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」
「自分を愛するように、隣人を愛せよ」
この二つに律法全体がかかっているのである。


(『マタイ』22章)


今でさえ、そうした世界はまだ遠い。
紀元前の世界において、それはあり得ないほど高邁な理想を述べた”教え”であったかも知れないが。


       

百田尚樹『純愛』裁判のお粗末




『殉愛』裁判の口頭弁論を傍聴し、レポートしていたジャーナリスト・角岡伸彦氏はこう述べている。

「裁判で『殉愛』の虚偽が明らかになっていったこと自体は、私自身、この問題をずっと取材していたので、別段驚きませんでした。裁判で明らかになった嘘は、争点に関係していることだけで、あの本の問題はもっといろいろあります。ただ、裁判を傍聴してびっくりしたのは、百田氏のジャーナリズム、取材に対する意識の低さですね。私がブログで指摘した『殉愛』のずさんな取材や百田氏の虚偽の主張というのは、答えに窮してポロリ漏らしてしまったというより、百田氏が自分から堂々と語ったケースが多かった。原告側弁護士から指摘されても『それがなんで悪いの』という感じで、悪びれるところがまったくない。しかも、これだけずさんな取材や虚偽がはっきりしているのに、“裏を取った”“これは間違いないという確信を持って書いた”と、自信満々に言い切ってしまう。本当に取材や裏取りの意味、事実とは何かということをわかっているのか。こんな人が平気で自分の本をノンフィクションと称し、政治や歴史問題について発言していることにあらためて恐ろしさを感じましたね」

頭の中で想像して作ったお話を「事実」のように思ってるわけだ。「妄想性何とか」じゃなかろうか?
ベストセラーだそうだが、怖いねえ。




共産主義も国粋主義もどちらもお断り



私が共産主義に疑念を抱いたのは、少年時代だった。テレビで浅間山荘事件を見て、そこに言い表せない禍々しさを感じていた。この疑念が反発に代わるのにさほどの時間はかからなかった。やがてソルゼニーツインを読み、その後カンボジアポルポト)、中国、ソ連でなされてきた怖ろしい虐殺と人権侵害を知り、チャウシェスクに同地の伝説の吸血鬼の面影を見た。
彼らはみな、「人民のため」と称していたが、人民を痛めつけ、奪い取り、殺していた。「人民のため」は一種の切り札のように作用して、「人民のため」と言えば多くの事が正当化されてしまうのだ。
そういう点で、日本の右翼(保守)と同じである。右翼は「人民のため」という言葉の代わりに「天皇」という切り札を持っていて、「天皇のため」と言えばたいていのことは免罪される。もちろんこの「天皇のため」は「お国のため」という言い方になることもある。帝国憲法での主権者は天皇だからだ。
救いようもないほど倒錯し、凶悪な殺人を犯した人物でさえ、愛国と見なされ罪を軽くする嘆願がなされるほどである。実際に自称愛国者たちはしばしば堀の中に入れられているが、すぐに出てきたりする。左翼・共産主義者(とみなされたもの)とはまるで違うのだ。昔の軍隊では上官を天皇と見るように指導したというが、それは上官への絶対服従をさせるためだ。こうした精神風土だから「天皇のために」が自己正当化の道具となりうるのである。それは一個の偶像崇拝であり、偶像とは怖いものだ。
「人民」という言葉を偶像化しようと御簾の影に隠れる「天皇」を偶像化しようとあまり違いは無いように思える。どちらも人間を痛めつけるために使われるし、さらにはテロを引き起こしてしまう。共産主義者は世界を股にかけてテロを引き起こしたが、国粋主義者は我が国でのみ暴れまわり、標的を苦しめる。




再掲載 中山太郎の『売笑3千年史』



折口信夫は遊女を宗教的女性として捉え、「吉原に遊びに行くと饗宴をひらく(中略)祭りの時招かれた神が饗宴を受けるのと同じ形を受けるのである。唯違うのは客がその費用を払うだけ」「宗教的な役割をになった」と書いている。(『巫女と遊女と』「折口信夫全集」17巻)

遊女が神社から生まれたことを前提としている。

「売笑は社会暗黒史である。・・・堕落史であり、腐敗史である。国辱史である。」(P18)と書いた

中山太郎の『売笑3千年史』  去年7月ちくまから復刻版が出ている。

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                                 遊女を具して降臨した賀茂神

播磨国損保郡室津町の鎮守賀茂神がこの地に降臨した際、遊女を召し連れられたので、ここが日本の女○の始めであって、しかし今に賀茂祭に遊女が奉納して神いさめをするのであると伝えられている。(播磨万宝智恵袋所収の播陽名跡志)(P22)

この伝説は相当古くから民間に流布されていて、かつ現時点でもなお彼らの強い信仰をつないでいるのである。
(『日本伝説叢書 播磨の巻』)

摂津国の官製大社住吉神社に近い泉州堺の乳守でも、この地こそ神功皇后の勅許以来日本最初の遊郭であって、同じく住吉社の祭典に遊女が一度ならず2度までも参加するのも、これに原因するのであると主張している。(日本地誌体系本の摂陽郡談)
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そこで中山太郎は、「我が国の遊女なる者は、ほとんど年時の計算も許さぬほどの太古である神代から存した」「賀茂神の降臨とはすなわち民族の移住を意味するものであるから、同神がハハの国jから遊女を随伴した」「我が国の遊女は遠い昔から神社と密接な関係があった。」(P23)と書いている。そして「性的解放は、①ある限られた日に行われ、②神の名において行われてきた」(P33)というのだ。

この神の名において行われてきた性解放の儀式として存在するものとして

豊後国日田郡夜明村では、毎年8月15日(明治以前は7月)の夜に盆保々という行事がある。この村は一村の男女が総出となって綱引きをする。そしてこの夜は当年14歳に達した女子は必ず男子に許すことに定められている。もしこの夜に許さぬ女子があれば不具者として待遇され、往々にして結婚を拒否され、または婚期が遅れることになっている。(『郷土趣味12号』)(P34)

○同じ豊後の臼(木へんに許の右)町の近郊たる某村でも、8月には鎮守祭の祭礼がおこなわれるが、この夜は既婚といわず未婚とを問わず、村内の婦女は必ず3人の男子に許さねばならぬ掟となっていた。それがため若い美しい女子は掟の責任を容易に果たすことができるが、年取った醜婦は一人の男子さえ得ることができずに夜が明けるという、悲しい喜劇が繰り返されたそうである。(『郷土趣味12号』)(P35)

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【台頭する反知性主義】クールビューティ・・・その実態はただの「知ったかぶり」




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特に専門の論文もなく、国際政治学者としての見識が乏しい三浦瑠麗がなぜ東京大学政策ビジョン研究センター講師になれたのかは知らない。

その肩書で
                    ●
フジテレビでの根拠なき「スリーパーセル・・・テロリスト」発言をしたり、


三浦 もし、アメリカが北朝鮮に核を使ったら、アメリカは大丈夫でもわれわれは反撃されそうじゃないですか。実際に戦争が始まったら、テロリストが仮に金正恩さんが殺されても、スリーパーセルと言われて、もう指導者が死んだっていうのがわかったら、もう一切外部との連絡を断って都市で動き始める、スリーパーセルっていうのが活動すると言われているんですよ。

東野 普段眠っている、暗殺部隊みたいな?

三浦 テロリスト分子がいるわけですよ。それがソウルでも、東京でも、もちろん大阪でも。今ちょっと大阪やばいって言われていて。

松本 潜んでるってことですか?

三浦 潜んでます。というのは、いざと言うときに最後のバックアップなんですよ。

三浦 そうしたら、首都攻撃するよりかは、他の大都市が狙われる可能性もあるので、東京じゃないからっていうふうに安心はできない、というのがあるので、正直われわれとしては核だろうがなんだろうが、戦争してほしくないんですよ。アメリカに。


                 ●
「性暴力は親告罪」と間違った法律知識を堂々披露したり

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削除訂正する三浦瑠璃
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しかし、訂正の方も間違っている。

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専門分野での正確さは学者の生命である。専門家でない人間にとって、専門家の学術書が難解に思えるのは、正確に表現しようとするからだ。
しかし、三浦は「スリーパーセル・・・テロリスト」発言の根拠でもグダグダだった。
またツイッター上での「韓国の学会 セクハラ」発言を木村幹、池内恵などに「10年以上前の話を一般化している」と批判されている。

まるで安倍政権の閣僚がそのまま「学者」の肩書で語っているような与太話の連続である。
東京大学政策ビジョン研究センターがこの人物を講師として使い続けるとしたら「反知性主義」という批判は免れないであろう。

ところで、こうした「反知性」の東大への侵入は、戦前もあったことである。


瀧川政次郎は『日本歴史解禁』で戦前の「反アカデミック」をこう述べている。


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写真だと読みつらいので、以下、転載させていただいた。
平田篤胤は人格下劣な大山師(瀧川政次郎の平田篤胤批判)

 法制史家の瀧川政次郎については、このブログでも何度か紹介したことがあるが(昨年八月一八日以降)、本日は、その著『日本歴史解禁』(創元社、一九五〇)の中の一篇「国史歪曲の総本山平田篤胤」を紹介することにしたい。
 瀧川は、明治維新から敗戦までという一連の歴史の中で、平田篤胤の思想が果たした役割について批判的に論じている。平田篤胤は、生前から毀誉褒貶の激しい人物だったようだが、これだけ厳しく平田を批判した文章は珍しいと言えるだろう。
 紹介するのは、その前半にあたる部分である。仮名遣いなどは、現代風に改めた。

 維新の鴻業を達成せしめた尊王攘夷の思想の発展に、国学者の活動が与って〈アズカッテ〉力のあったたことは、維新史を説く歴史家のひとしく認めるところである。維新前の国学者の大宗〈タイソウ〉は、いうまでもなく、荷田春麿〈カダ・ノ・アズママロ〉・加茂真淵〈カモ・ノ・マブチ〉・本居宣長〈モトオリ・ノリナガ〉・平田篤胤〈ヒラタ・アツタネ〉のいわゆる国学の四大人〈シウシ〉であるが、維新に最も近いのは平田篤胤である。従って平田の思想は、最も強く維新に影響を与え、篤胤の養子鉄胤〈カネタネ〉は、明治政府が設けた教部省の重鎮であった。平田の思想は、平田自らが「本居宣長死後の弟子」といっている如く、本居・賀茂・荷田三大人の思想を発展せしめたものであるが、彼はその思想の淵源をまた度会〈ワタライ〉神道や天主教〔カトリック〕の経典からも汲んでいた。彼が当時禁書であった天主教の経典を長崎を通じて密輸入した数は多数に上っている。記紀古事記日本書紀〕には只一ケ所よりあらわれていない「むすびの神」を以て、すべての神々の本としたものは、一神教である天主教の神学を輸入したものであって、「むすびの神」即ちエホバである。『出定笑語』〈シュツジョウショウゴ〉にノアの箱船の話が見えることは、語るに落ちたものといえよう。又彼が三皇五帝は日本の神様が中国にあらわれたものだという説を吐いているのは、本地垂跡〈ホンジスイジャク〉の説を逆にゆく伊勢神道の説を発展せしめたもので、彼の独創ではない。彼は本居死後の弟子といっているが、木居の科学的な考証の学は少しも承け継いでいない。それを承けついでいるのは、伴信友〈バン・ノブトモ〉である。本居は言葉を離れて思想はないという見地から、日本固有の思想を研究するには、日本語で書かれた『古事記』に依らなければならないとし、漢文で書かれた『日本書紀』を「からごころの文」として排斥しているが、平田は『日本書紀』を取っている。本居生前の弟子であれば、恐らく平田は本居から破門されていたであろう。本居の科学的精神を受け継いだ伴信友は、平田が本居死後の弟子と称して、本居の権威を藉って〈カッテ〉自論を弘めんとしたことを憎んだ。故に平田も信友を人の皮を着た畜生であるとまで罵っている。平田は非常な努力家であり、従ってまた博覧強記であったが、彼は生前から「山師」といわれた如く、人格下劣な大山師であった。この大山師のインチキな思想によって、維新の功臣達が指導せられたことは、正に日本国民の大なる禍い〈ワザワイ〉であった。明治政府が百年の齢〈ヨワイ〉を保ち得ずして崩壊した根本的原因は、茲〈ココ〉にあるものと私は考えている。
 明治以来、欧米の学問が輸入せられるに及んで、平田の学問は正当に批判された。平田の学問は「哲学」にあらずして、「神学」であるといわれた。そうして平田の学問思想は、正統の学府である東京大学から追放せられた。しかし、平田が京都の白川家〔神祇伯世襲〕と握手して、神官や頑固な攘夷論者の間に扶植した勢力は大きかった。大学から締め出された平田学の系統を汲む学者は、彼等の間にその隠れ家を見付け、反アカデミックな団結を固めつつあった。第一次世界戦争後、「成り金」が跋扈〈バッコ〉し、「軍縮」が行われるに及んで、軍人、わけても青年将校の不平不満はその極に達した。彼等は大学出の秀才が「学士さまなら娘をやろか」という時代の風潮に乗じて、大学を出てから十年も経つか経たないかに、知事さんになって、孔雀のような奥さんを連れて肩で風を切って歩いているのに、自分達は「やっとこ大尉」を十年もやって、やっと少佐になればもう首の心配をしなければならない社会を呪った。彼等は期せずして悉く反アカデミックとなった。彼等の大学に対する反感は、彼等が天下を取った太平洋戦争時代でもなお盛んであった。戦争中、軍隊に於て大学出が窘め〈イジメ〉られたことは、非常なものである。とりわけ法科出の大学生は虐待せられた。学徒出陣で、法科、経済科の学生が一番先に引き出されたのも、表向きの理由は別として、この軍人の大学出に対する反感がその因をなしていることは争えない。ラバールで、ある大学出の幹部候補生が士官学校出の将校の前に引き出され「貴様はどこの学校を出たか」と訊かれた。「私は東京の帝国大学を出ました」と答えると、件〈クダン〉の将校は憎々しげにその幹部候補生の顔を見詰め、稍〈ヤヤ〉あって吐き出すように「貴様は国賊だ」と大喝したという。この軍人の反アカデミックな気持は、大学を追われた平田学の残党の反アカデミックな気持と共感を呼ばない筈はない。故に軍人は、その思想的空虚も手伝って、平田学に共鳴し、傾倒していった。軍の思想家といわれる小磯国昭荒木貞夫東条英機等が、平田学者である今泉定介〈イマイズミ・サダスケ〉、山田孝雄〈ヤマダ・ヨシオ〉と良かったことは決して偶然ではない。この軍人と平田学者との反アカデミックな陣営に加わったのは、帝大に入り損じて帝大を呪う蓑田胸喜〈ミノダ・ムネキ〉、三井甲之〈ミツイ・コウシ〉等の浪人連中であった。『南淵書』〈ミナミブチショ〉という偽書を作って青年将校を五・一五に導いた権藤成郷〈ゴンドウ・セイキョウ〉も「こういう書物のあることは、帝大の先生方も御存じない」といって、軍人を随喜渇仰せしめていた。日本を滅茶滅茶にしてしまったのは、これらの反アカデミックな不平党であって、軍人達の小さな不平が国を滅ぼしたという幣原喜重郎〈シデハラ・キジュウロウ〉の見解は正しい。明治維新の原動力となったのものも、陪臣〈バイシン〉の直参〈ジキサン〉に対する不平不満である。【以下略】

 こうした文章を読んで、瀧川政次郎は、左派の歴史家ではないかという印象を持たれる方もおられるかもしれないが、それは違う。昨年八月一八日のブログでも紹介した通り、彼は、東京裁判嶋田繁太郎海軍大将の弁護人を務めている。その思想傾向は、左派というよりは、リベラル派、どちらかといえば右派といってよいだろう。
 だいたい、「陪臣の直参に対する不平不満」が明治維新の原動力となり、「反アカデミックな不平党」が日本を滅ぼしたというような発想は、「唯物史観」にとらわれた左派歴史家からは出てくるはずがないのである。

今日の名言 2013・1・6

◎「むすびの神」即ちエホバである

 瀧川政次郎の言葉。『日本歴史解禁』(創元社、1950)の17ページに出てくる。瀧川は、平田篤胤における「むすびの神」概念には、天主教研究の影響があると解している。上記コラム参照。


「歴史は繰り返す」というが「反知性の東大への侵攻」まで繰り返す必要はないのに。


繰り返す歴史=蘇った悪霊・東条英機




                日刊ゲンダイ 2018-4-25

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安倍と東条の共通点

● 強権を発動し、逆らう者に報復人事を行う 

保阪正康が指摘する3点
① 現内閣の強圧政治と世論誘導策
② 官僚機構の腐敗と道徳的退廃
③ 行政文書管理のズサンさと歴史的無責任

「太平洋戦争の末期と終戦時の国家体制の崩壊の折に表出」
「東條内閣の独裁政治と自らの延命しか考えていない首相により国民がおびえ、沈黙し、そして面従腹背を生活上の知恵とした。」
「こと中央官庁の官僚だけを例にとると、その構図は東条内閣当時と同様ではないかとの思いがする」
「この構図が分かったとき、前述の②と③は官僚機構そのものが内閣に屈服している結果という側面がうかがえる」
「2度目の歴史だ」
「安倍のいう「私が責任者ですから」は東条の言い方と同じ。東条は恫喝の意味を込めて使っていた。」

小林弥六
「安倍政権の報道と教育への異常な政治介入は、東条内閣を彷彿とさせる。」



 今日本には、戦前の悪霊たちが蘇っている。

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x                瀬戸内寂静 「何か憑いてるんじゃないかと」

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