【『律法』の思いやり規定】
『律法』には「思いやり規定」と言うべき部分がある。
例えば、こんな風に・・・・
つまり、誰かを雇ったら、虐待するな!いじめるな!・・・と言うのである。
現在世界では、人権宣言がなされ、労働者の権利を守るための法が整備されている。しかし、つい何十年か前までは日本でも雇用者に対する虐待のような事はしばしばなされていた。
ところが、イスラエルの神はもう3000年以上もの昔に、神の絶対命令として「雇用した人を虐待するな」と命じたのであった。
しかも「・・・他国人であっても・・・」と言われているのである。
もう少し読んでみよう。
賃金はその日の内に支払い、それを日の入るまで延ばしてはならない。彼は貧しい者で、その心はこれにかけているからである。そうしなければ彼はあなたを主に訴えて、あなたは罪を得るであろう。」
(『申命記24章11~15)
貧しい者は、金をもらえなければその日の食事にも困るかも知れない。だから、その日の内に払ってやりなさい・・・と言う命令である。
なんてきめ細かい”思いやり”であろうか?
神様は、「気配り」の行き届く方なのである。他国人にさえ、差別なく気遣うように言われている。
外国人や孤児は立場が弱い。
だからと言って、不法な事を行ったりしたら、承知しないぞ・・・と言われる。
夫を失った寡婦も又弱い立場である。
何かがあって、働き手がいなくなっても生きて行けるように・・・
あなたがたの地の実りを刈り入れる時は、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈り入れの落ち穂を拾ってはならない。あなたの畑の実を採りつくしてはならない。またあなたのぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。貧しいものと寄留者とのために、これを残しておかねばならない。私はあなたがたの神、主である。
(レビ19章9~10)
これは有名な絵画「落ち穂拾い」のモチーフである。(ルツ記)
落ち穂拾い
モーセを通して、律法を与えられた時、神様は何を考えておられたのだろうか?
言うまでも無い。
寄留の他国人も親のいない孤児も夫のいない寡婦も、餓え死んだりしない社会を望まれたのである。愛と思いやりにあふれた社会を造ろうとされたのである。
後にイエス様はこう言われた。
(もっとも大切な戒めは)
「心を尽くし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」
「自分を愛するように、隣人を愛せよ」
この二つに律法全体がかかっているのである。
(『マタイ』22章)
今でさえ、そうした世界はまだ遠い。
紀元前の世界において、それはあり得ないほど高邁な理想を述べた”教え”であったかも知れないが。