排外主義の地平線

○1990年代に日本人自警団と在日外国人との抗争を題材にした作品 『BAD FILM』を撮っていた園子温氏、
ネット右翼の活動などをテーマに『ネットと愛国』を書いた安田浩一氏、 
○「民族浄化」で知られる旧ユーゴスラビアの内戦を取材した木村元彦氏の3人が、
 
拡大する“安易なナショナリズム”を斬る! 
 




座談会は安田氏が持参した、ある映像を見ながらスタートした。2006年に設立され、差別的な言葉で 
在日コリアンを攻撃するなどして、ネット上で支持を広げる自称“市民保守団体”、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)のデモ映像である―。 

安田 これは10年8月に在特会社民党本部前で行なったデモの映像です。 
社民党従軍慰安婦の問題に関して積極的に関わっているというので、それに抗議しているんです。朝鮮人従軍慰安婦はいただろうが、 
所詮あいつらは売春婦で、今だって韓国人の売春婦が日本で働いているのだから、そんなのを送り出している韓国は許せないと。 
で、その韓国を擁護する社民党売国奴である。そういう抗議をやっているわけです。100人以上は集まっていますね。 

木村 いわゆる従軍慰安婦の問題と、現在、風俗店で働いている韓国人の女性を同列に語っているわけですか? 

安田 はい。彼らは最近も鶯谷(うぐいすだに)で朝鮮人売春婦追放デモをやっていますね。 
日章旗を掲げながら、「日本から朝鮮人売春婦をたたき出せ!」「殺せ!」と鶯谷の風俗街を練り歩きました。 

 これ、グループの名前が書いてある幟(のぼり)もありますね。 

安田 それは「排害社」という在特会の友好グループ(の幟)ですね。主張はほとんど同じ。 

木村 他者、他民族を追い出す排外主義で、要するに保守でも右翼でもないわけですね。 
安田さんは昔ながらの右翼団体もかなり取材されていますが、やはり、そこに圧倒的な差異がありますか? 

安田 そう。例えば、ネット右翼ネトウヨ)という言い方をされますが、彼らの口から尊王史観、 
天皇に関する言葉をほとんど聞いたことがありません。「国家」という物言いはするけど、 
戦後の日本で連綿と引き継がれてきた民族派右翼の思想からも彼らは断絶しています。 

だから、僕から見れば、彼らは自分たちが抱えるさまざまな不安や憤り、 
欲求不満をそこで解消しようとしているようにしか見えない。 

そして、在特会はその“普通の人たち”が不満を吐き出す受け皿になっている。 
ただ、それなりに本気なところが怖い。園さんの作品『BAD FILM』(1995年撮影、12年完成・公開)に 
強烈な既視感を覚えるのは、それが理由ですね。 
 
 
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〔ネオナチと安部政権+在特の奇妙な共通点〕
 
 
1980年台後半、世界は共産主義の崩壊という大きな出来事を経験した。東西を分けていた象徴とも言うべきベルリンの壁が破壊され、共産国家を支配していた独裁者達があるいは処刑され、あるいは追放されたのである。衛星国は全て民主化革命が引き起こされ、ソ連もまた民主主義化した。
 こうして東西冷戦が終わるとそれまで冷戦の影に隠れていた民族主義、自宗教主義が台頭しはじめた。旧ユーゴでは内戦が勃発し、「民族浄化」が唱えられ強姦と殺戮が支配した。統一ドイツでは、やがてスキンヘッドのネオナチが鎌首をもたげ、「外国人排撃」の主張を始めた。「トルコ人出て行け」とか叫び、テロと暴行を繰り返している。
 また「ナチスユダヤ人の友だった」「アウシュビッツの600万人は多すぎる」などの歴史修正論を繰り広げ、今日では政党を作るまでになったのだ。
 
 ドイツ政府のなかにも「在住外国人は市民ではない」「外国人の選挙権に断固反対」と発言する者もおり、合法的に行動するネオナチ=「ドイツ国家民主党」に力を与えている。
 
「いまなおドイツ人は勝者の意思に屈している。……第二次世界大戦の二つの勝者(アメリカとソ連という二つの帝国主義)の目標は、二つの世界領地への世界の分割であり、……かくてドイツ民族は外国権力ブロックの間での闘争と妥協の標的になってしまった。……われわれ国家民主主義者は自由と自立への意思を、分断されたドイツ民族のなかにも目覚めさせようと欲する」
 
というドイツ国家民主党綱領は、きれいな言葉で飾られたナチス(排外民族主義)の歴史的正当化である。
そして、在特会と不愉快な仲間達が暴れる日本の現状といくらかシンクロしていると言えよう。
 
 ネオナチとはナチス主義で第二次世界大戦後の右翼国粋主義の信奉者である。
 外国人排斥、観光客に対する暴力行為、ハーケンクロイツを掲げて、ナチスドイツ的な論理以外を暴力行為で排除と撲滅しようとする若者の集団である。日章旗を掲げて外国人排斥をクライムする在特会を彷彿させる。
 
 そもそも、昔から日本とドイツはなぜかしら共鳴していた。1933年、ナチスヒトラーが政権を取り、一党支配をはじめた頃、やはり1933年に日本は、挙国一致内閣が生まれ、政党政治が終わっている。やがてドイツと日本はそれぞれ国際連盟に不満を持ち脱退し、同盟国として肩を並べて闘うようになった。
ヒトラーは今でこそ病的独裁者のイメージが定着しているが、政権をとって失業者対策を成功させ、国民に支持されていたのである。
 そのヒトラーはナチズムについてこう述べている。
 
「ナチズムはもっぱら人種に関する諸認識から生まれた一つの民族的政治理論である」
 
 
 
(参考)
 
 
 天皇を崇拝する民族派の右翼とは一線を画しているが、右翼ではないとは、言えないと思う。
そもそも、右翼は今日まで本当に、天皇に敬愛心を抱いていたのであろうか?
 
明治維新の功労者たちが天皇を「玉」と呼んで道具として見ていたことを我々は、よく知っているのである。彼らにとって天皇は権力を奪取するための駒であった。
 
物部氏による仏教排斥がイコール渡来人の排斥であったように「排外主義」はある意味正統な日本神道民族主義の表れであると言える。
 
現在の右翼団体は、元をたどれば頭山満などに行き着き、さらに辿れば明治維新期に「志士」「国士」・・・などと呼ばれた尊王攘夷運動に行きつく。尊王攘夷運動は言うまでもなく、外国人テロを含む、排外運動である。
 
 
字数の関係で、この話は次回ブログで取り上げよう。
 
                      
 
 
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