天皇制は神道の一部である



戦後、唯物論者たちの唱えた「天皇制廃止論」は、「王制としての天皇制」という側面が強かった。王制を廃止したかったわけだ。

しかし、「王制としての天皇制」と神道という疑似宗教は不可分の関係にある。

なぜ天皇は、古代社会の中で尊崇を集めたか、という事を考えれば分かるだろう。古来天皇はアマテラスオホミカミという神の子孫であるとされていた。そのアマテラスの親が国土を造り、アマテラスの子孫が統治することになったと神話は言う。それが正当なことだと古代においては考えられていたのだ。

こうした神話の事を王権神話という。
王の正当性を主張する神話のことである。
古代社会はどこでも王権神話の世界だった。

有名なのは、エジプトのファラオだろう。ファラオは、太陽神ラーの子なのだ。紀元前5世紀頃、ヘロドトスが書いた『歴史』にはヘラクレスの子孫だと名乗ってその地方をおさめていた王も描かれている。

しかし、やがて仏教やキリスト教などの高等宗教が広まると、これらの王権神話に基づく国は少なくなり、20世紀では、日本だけになった。日本では19世紀に「天皇の統治の正当性」が唱えられ、明治国家では王権神話が学校で教えられるようになった。小学生から、古事記日本書紀を習い天皇の名前を覚えるのが教育とされていたのである。天皇は神だと教えられ、神社は国家によって手厚く保護された。

天皇制は神道の一部なのだと言う事が理解できればとりあえずは十分である。