総督府の土地政策ー。『世界各国史朝鮮史』 武田幸男

 
1906年公布の「土地家屋証明規則」などの法令により、朝鮮における日本人の土地所有は合法化された。日本人の土地所有は急速に拡大し、10年はすでに地主数2254人、69311町歩(田畑のみ)にも達した。(『世界各国史朝鮮史』 武田幸男 P237)

この数字が正しければ、1910年の段階で、すでにかなりの数の日本人地主がいた事になるのですが、これはどの程度正しいのか?

12年2月に「土地調査令が出され、申告主義によって所有権を確定した。しかし申告書の配布、取りまとめ、照合などの実務を担当した地主委員会は地方丁当局者・警察官・面長地主総代などから構成されていて、農民は排除された。多くの農民は代々土地を耕作していても、土地の所有者とは見なされず、また一族・一村の共有地はその有力者が自己の所有地として申告した。・・・申告しない土地は全て国有地に編入された。(P247)

まっこんな風にして、地主制度が確立して行った。

ここで重要な指摘がなされています。
 
さらに李王朝の”公有地”は国有地と認定されたが、実はその中の膨大な私有地が混入していた。事業の過程では33937件にのぼる紛争が起きているが、そのうち99.7%までは所有権を巡る紛争で、さらにそのうち65%が国有地紛争であった事実がそれを証明している。土地の国有化自体が農民からの土地収奪であった。
(P247)

この理解の仕方はほぼ正解であると思います。