関東軍慰安所の朝鮮女性達は〔挺身隊〕と騙されたのである・・・

以下、関東軍のいた北中国各地、満州慰安所の記載をまとめたものである。
関東軍慰安婦の多くが朝鮮女性であった事がよく分かる
さらに、その女性達は騙され,強制されたのである。
 
 
赤紙兵隊記』 いまいげんじ著 1987  他の著作 『シベリヤの歌』
満州、延吉

・・・・いわいる「ピー」と呼ばれる女性達はほとんどが朝鮮娘であった。
 
 
関東軍軍隊日記』 長尾和郎著 1968

東満の東寧の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりではなく日本女性も・・・・・・三畳ぐらいの板の間にせんべい布団を敷き、その上に仰向けにいなった女性の姿・・・・・・・これらの朝鮮女性は「従軍慰安婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で≪営業≫するとは思ってもいなかったと言う。それが満州各地に送りこまれて、言わば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。・・・・・
 
 
『兵隊達の陸軍史』 伊藤桂一著 1969 
 
・・・・・慰安婦の多くは騙されて連れてこられたのである。

支那の著者のいた駐屯地には、兵員600に対して朝鮮人慰安婦が4人いた。


 
関東軍━在満陸軍の独走』 島田俊彦著 1965
 
中公新書 P176 
 
41年の関東軍特別演習に際して、関東軍参謀原善四郎中佐は軍慰安婦2万人が必要と計算し、朝鮮側に割り当てたが、実際には8000人が集められた、と言う。
 
 
 
   従軍慰安婦110番での軍医の証言>
 
軍医 関東軍女子特殊軍属服務規程」1992年証言78才
 
昭和15年(1940)には関東軍に引っ張られ、関東軍司令部の朝鮮後方部隊で、司令官の家族、補給監部の診察をやらされました。・・・・
関東軍補給監部と言うのがあり、慰安婦の補給の仕事もしていました。鉄道で女達を連れてくるのですが、一両に200人を乗せ、外から見えないようにしました。10両の貨車で2000人が一度に運ばれました。
 
 
 
通信教育隊 1992年73才
 
黒龍江省富錦で一人の朝鮮人慰安婦から聞いたもので、「『関東軍戦時特別挺身隊』という事でしたが、実際に来てみたら慰安婦だったと言って泣いておりました。・・・・朝鮮人女性は、京城の駅に2000人が集められ、列車に乗せられて、満州の新京に下ろされました。そこで、20人から30人に分けられ、また列車に乗せられ、各地に送られて行きました。
 
ここで分かる事は、つまり関東軍慰安所を作る時、〔戦時特別挺身隊〕という名目で集めていた・・・・と言う事である。こうして集められ送られた朝鮮女性達は、各地に送られ強制的に性を提供させられるのである。ところでこの〔戦時特別挺身隊〕だが、この名目からして、これは関東軍が命じ、総督府警察と各面事務所(役場)が協力して集めたものと思われる。いわいる「業者が集めた慰安婦」とは異なるのである。
韓国では、〔戦時特別挺身隊〕と〔軍慰安婦〕を混同しているが、それは当然である、と言える。