関東軍慰安所の朝鮮女性達は〔挺身隊〕と騙されたのである・・・
さらに、その女性達は騙され,強制されたのである。
・・・・いわいる「ピー」と呼ばれる女性達はほとんどが朝鮮娘であった。
『関東軍軍隊日記』 長尾和郎著 1968
東満の東寧の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりではなく日本女性も・・・・・・三畳ぐらいの板の間にせんべい布団を敷き、その上に仰向けにいなった女性の姿・・・・・・・これらの朝鮮女性は「従軍慰安婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で≪営業≫するとは思ってもいなかったと言う。それが満州各地に送りこまれて、言わば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。・・・・・
東満の東寧の町にも、朝鮮女性の施設が町はずれにあった。その数は知る由もなかったが、朝鮮女性ばかりではなく日本女性も・・・・・・三畳ぐらいの板の間にせんべい布団を敷き、その上に仰向けにいなった女性の姿・・・・・・・これらの朝鮮女性は「従軍慰安婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で≪営業≫するとは思ってもいなかったと言う。それが満州各地に送りこまれて、言わば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。・・・・・
『兵隊達の陸軍史』 伊藤桂一著 1969
中公新書 P176
<従軍慰安婦110番での軍医の証言>
軍医 「関東軍女子特殊軍属服務規程」1992年証言78才
通信教育隊 1992年73才
黒龍江省富錦で一人の朝鮮人慰安婦から聞いたもので、「『関東軍戦時特別挺身隊』という事でしたが、実際に来てみたら慰安婦だったと言って泣いておりました。・・・・朝鮮人女性は、京城の駅に2000人が集められ、列車に乗せられて、満州の新京に下ろされました。そこで、20人から30人に分けられ、また列車に乗せられ、各地に送られて行きました。
ここで分かる事は、つまり関東軍が慰安所を作る時、〔戦時特別挺身隊〕という名目で集めていた・・・・と言う事である。こうして集められ送られた朝鮮女性達は、各地に送られ強制的に性を提供させられるのである。ところでこの〔戦時特別挺身隊〕だが、この名目からして、これは関東軍が命じ、総督府警察と各面事務所(役場)が協力して集めたものと思われる。いわいる「業者が集めた慰安婦」とは異なるのである。
韓国では、〔戦時特別挺身隊〕と〔軍慰安婦〕を混同しているが、それは当然である、と言える。