史料紹介:東京裁判慰安婦・慰安所関係史料-その3

今回紹介するのは、オランダが提出したインドネシア・モア島オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書である。これは日本軍を攻撃した者の娘を慰安婦にしている例である。
 
 
 
インドネシア・モア島   
オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書   
                       一九四六年一月一三日
 
 
 問   貴方の氏名、年齢は?   
 
 答   シメイはオハラ・セイダイ、年齢は二十七歳。   
 
 問   貴方の所属部隊は?   
 
 答   タナカ部隊ハヤシ隊   
 
(略)   
 
 問   一九四四年九月に於けるモア島の指揮官は誰でしたか。   
 
 答   私でありました。   
 
 問   一九四四年九月中にモア島で土民が殺されたことがありますか、又その人数は?   
 
 答   セルマタ島及ロエアン島で約四十名の土民が捕虜となり且殺されました。   
 
 問   なぜ殺されたのですか。   
 
 答   土民達がセルマタ及ロエアン島の憲兵隊を攻撃したからです。   
 
 問   誰がその殺すことを命令したのですか。   
 
 答   タナカ将軍は土民達を司令部に送るやう命じました。然し土民達がモアを出発する前に右命令は変更され私がモアで彼等を殺し土民の指導者三,四名をタナカ部隊に送るやうにと命ぜられました。   
 
 問   貴方は自分でその土民達を殺しましたか。   
 
 答   いえ、私は唯その殺すのを監督したのです。   
 
 問   誰が貴方の手助けをしたのですか。   
 
 答   ウド曹長、トヨシゲ軍曹、マツザキ軍曹及二十一名の他の兵卒達です。   
 
(略)   
 
 問   どんな風にして土民達は殺されたのですか。   
 
 答   彼等は三人宛途上縦隊を作って整列させられました。それから前に述べた二十一人の兵達は銃剣で彼等を突刺し一度に三人を殺しました。   
 
 問   或る証人は貴方が婦女達を強姦しその婦人達は兵営に連れて行かれ日本人達の用に供せられたと言ひましたがそれは本当ですか。   
 
 答   私は兵隊達の為に娼家brothelを一軒設け私自身も之を利用しました。   
 
 問   婦女達はその娼家に行くことを快諾しましたか。   
 
 答   或者は快諾し或る者は快諾しませんでした。   
 
 問   幾人女がそこに居りましたか。   
 
 答   六人です。   
 
 問   その女達の中幾人が娼家に入る様に強ひられましたか。   
 
 答   五人です。   
 
 問   どうしてそれ等の婦女達は娼家に入る様強ひられたのですか。   
 
 答   彼等は憲兵隊を攻撃した者の娘達でありました。   
 
 問   ではその婦女達は父親達のした事の罰として娼家に入る様強ひられたのですね。   
 
 答   左様です。   
 
 問   如何程の期間その女達は娼家に入れられていましたか。   
 
 答   八ヶ月間です。   
 
 問   何人位この娼家を利用しましたか。   
 
 答   二十五人です。   
 
(以下略)   
 
 (訳注)オハラの階級について、陸軍中尉が、海軍大尉と後から直されているが、経歴を見ると陸軍なので、陸軍中尉のままにした。
             http://blogs.yahoo.co.jp/kyoto_focus/6355033.html より転載







    問   或る証人は貴方が婦女達を強姦しその婦人達は兵営に連れて行かれ       日本人達の用に供せられたと言ひましたがそれは本当ですか。   
 
   答   私は兵隊達の為に娼家brothelを一軒設け私自身も之を利用しました。   
 
という表現が生めかしい。

こういう証言もウヨ達にかかれば、「ただの売春婦」という事になるらしい。

狂っているとしか言いようがない。