『日本統治下の朝鮮』 を読む

 
たぶん昔乱読してた頃に読んでると思う。
 
『日本統治下の朝鮮』 山辺健太郎
 
 
ただこういう論文だけでは、実態が分からないから、当時の文学を探したんじゃなかったっけ?
 
よく覚えていない。
今読むとそれなりに再発見もあり、面白い。
 
 
こうした本を読まない連中の中には、「土地調査令は、日本が韓国に近代的土地制度をもたらしてあげたのだ」と言いつのる者もいる。だが、それがいかに浅はかな考えか!
教育してあげようにも、自分の方が正しいのだと言い張る救いようの無さである。
 
たとえばP37にはこう書いている。
 
「土地所有が確立したのちは、土地の移動がおこるのは当前だが、この土地が資金と権力の背景を持つ日本人の手に集まったのはあたりまえであろう。
 
 
 邦人ニシテ彼地ニ土地を所有セルモノハ、売買ノ取引ニヨリテ所有権ヲ取得 シタ  ル者少ナク、多クハ貸金ノ抵当トシテ其元利金ノ返済ヲ受ケサルガ故 ニ、仮ニ土  地収穫物ノ収納権ヲ保有セルモノノ如シ。(大阪商工会議所  『韓国産業視察報告書』)
 
 
つまり、日本人が朝鮮で地主になったのは、土地の買い入れによるものではなくて、朝鮮人に金を貸し、抵当流れを利用して土地を取ったのである。そして抵当流れにするやり方は朝鮮総督府ですら
「金貸業ヲ営ムモノ多ク債務ノ催促時ニ或ハ過酷ニ失シ韓民ノ怨ミヲ買ヒ復仇ノ厄ニ遭フニ至ル」
と言っているが具体的には・・・・
 
 
朝鮮人が土地を抵当にして、日本人の金貸しから金を借りて、その金の返済期日を何月何日と決める。・・・約束の返済日になると時計の針をすすめておく。この姦計を知らない朝鮮人が金を返しに来ると、約束の時間がすぎているというので抵当流れにしてしまうという、ちょっと考えられないようなことが行われていた。
 
買収する土地にしてもそれは普通の買い入れではなく、腰にピストルと望遠鏡をもって土地の買い入れに出かけるのである。この方法は日本の官がやった方法で、休みの日に望遠鏡をもって丘の上に行き、手ごろの土地を望遠鏡でみつけると、そこに何某所有の標柱を立て四方に縄張りをしておく、もし所有者が届出をしないときはたいてい標柱を立てた者の所有にしてしまう。
 
出典
『韓国農業論』加藤末朗
『朝鮮農会報』の「25周年記念号」
 
 
相当、あくどいやり方だが、ウヨクたちにかかったら、これが近代土地所有?になってしまうのだから、処置なしである。力ずくで奪うこのやり方のどの辺が、近代的?だ。
 
 
総督府の技師をやったあと東拓系会社の役員をやっていた賀田直治は次のように書いている。
 
「次には貸し金土地は農場の経営にして多年苦心惨憺の結果その根拠を築きたるものに属し時ニ手段を選ばず貨幣の偽造をなし詐欺をなし鮮人を虐待横領したるか如き事例を聞くも当時の情勢は自らこれを余儀なからしめたる事情もあり一定の産を造るとともに・・・・」(賀田直治『朝鮮産業叢書』・・・国会図書館蔵)
 
悪どいなー
 
こうしてできた日本人地主の農場は大倉農場、岩崎の東山農場、熊本農場で併合当時いづれも1000町歩以上の経営者であった。