補償問題に踏み込んでみよう

 
右派論壇の中には、「日韓基本条約」の際に結ばれた「日韓請求権・経済協力協定」をもって、全ての賠償請求が終わったようなことをいう人もいる。確かに、この協定には「完全かつ最終的に解決されたことになることを確認する」(第2条)という文章がある。これは国家間において賠償請求をしないという取り決めだが、これを拡大解釈し、「個人による賠償請求権まで放棄」したような意味に解釈している人もいる。
しかし、日本政府は当たり前の話だが、個人の請求を認めている。
 
91年の国会答弁では、「日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したという事で、個人の請求権そのものを国内法的意味で消滅させたのではない」と表明している。
 
それから、1951年9月のサンフランシスコ条約だが、この条約によって52年には日本は主権を回復した。しかし条約はソ連ポーランド、インドが署名を拒否、朝鮮や中国は会議に招待されず、インドネシアも未批准だったので「単独講和だ」と批判された。
賠償条項は、第14条a項だが、「日本は連合国に賠償義務があるが、現在の経済状況では履行できないので、連合国は「別段の定めがある」以外は請求権を放棄するという内容である。
これに基づき、ベトナム、フィリピン以外の連合国は放棄した。条文には「戦争中に生じさせた損害および苦痛に対して賠償を払うことも定めていたので日本は、ベトナム(南)、フィリピン、ビルマインドネシアの間にそれぞれ賠償協定を結んだ。賠償協定を結んだのは、この4カ国だけで、サンフランシスコ平和条約に参加していない他の国々とは個別の交渉をしたのである。
韓国はその一つで足掛け15年の長い交渉があり、65年8月に日韓基本条約となる。
 
交渉が長引いたのは、過去の植民地支配に対する評価が違ったからだが、その点は据え置きにして、とりあえず国交しましょうというわけで国交が始まった。
 
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