日本における「神国日本」「神風が吹く」という妄想論理の流れ


嘘は時には人間関係の潤滑油になる事もあるだろう。
しかし、ときおり壊滅的な問題を引き起こす。
特に集団的に信じられてしまった嘘は、それを信じている人間にも、周りの人間にも壊滅的打撃をもたらすものだ。
それが、太平洋戦争であったとも言えるだろう。太平洋戦争の時代の人々が、教育や報道によって信じこまされた嘘はたくさんある。その大きなものは、「天皇は神である」という嘘と「日本は神国である」という嘘であった。それで「日本は神の国」なのだから、戦争に負けるはずがない。→「神風が吹く」という妄想を信じて、軍部は信じられないような楽観的で行きあたりばったりの無謀な作戦を繰り返し、敗北を続けた。

ではこうした嘘の源はどこにあったのか?


            嘘が生まれた時

元寇が起こった13世紀、その元寇を追い払った台風は、神々が日本を守ったのだというという考えが生まれた。

2000年になった頃神道政治連盟国会議員懇談会において森喜朗内閣総理大臣が「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%9B%BD%E7%99%BA%E8%A8%80

と述べ解散となったのは、まさにこの伊勢神道から生まれた神国論であると言える。

「神国日本」とか「神風が吹く」とかいう理屈が伊勢神官によってとなえられた。これが伊勢神道で、その後この考えを広めるために伊勢御師と呼ばれる連中が全国に向かった。またこの伊勢神道は、古代王朝復活によって伊勢神宮の地位を回復する事を目的としていたので当然、復古主義であったとも言える。



この企みが実現したのが、大日本帝国であった。
とりわけ末期においては天皇を神とする国体論が唱えられ、臣民たちには子供の頃から「神国日本」「神風が吹く」が教えこまれ、
伊勢の神官たちの望み通りの世界になったと言える。

やがて室町時代にはその影響下に吉田神道が生まれ、江戸時代になると神道理論は、儒教と結びつき神儒習合の神道論が生まれた。幕府の儒官となった林羅山キリシタンと仏教を排斥し、「神道こそ王道である」とした。一般的に林羅山は儒学者として考えられているようだが、こうした考えから見ると儒家というよりも神道家である。陽明学の熊沢蕃山も「神明の本体は王陽明のいう良知である」という。

17世紀、度会家の子孫、出口(度会)延佳は、仏教の排斥と易と儒教を取り入れ、神と一体となる神人を説いた。


こうして時代は進んで行くわけだが、やがて妄想理論の真打の登場である。
 
1945年6月8日の御前会議で決定したのは「戦争の継続」であった。その「今後採るべき戦争指導の基本大綱」は、「国体護持」と「皇土の保衛」を目的に掲げている。本土決戦をかかげた小磯内閣の中で天皇内大臣木戸幸一に「伊勢と熱田の神器は自分の身近に御移してお守りするのが一番よいと思う」と種の神器を自分のもとに置きたい意向を述べている。(『木戸幸一日記』下巻)
国内では「鬼畜米英」と「神風が吹く」の神道信心論理が政府や軍の中枢まで支配していたので、東京大空襲の後でも「本土決戦」を唱えながら、まだ勝てるという強固な妄想に支配されている人たちがたくさんいた。本土を急襲されても醒めない強固な擬似宗教妄想は、竹槍で婦女を含んでの「最後まで抵抗」ということになるのだが、国民義勇兵役法により婦女子を兵隊とするとは何という愚かしさか?
この妄想を吹き飛ばしたのが、原爆である。私は原爆2次被爆の2世なので原爆の惨状は子供のころから知っている。にもかかわらず米国を非難する気にはならないのは多分こういう事を感じていたからだろう。妄想に支配された人たちが、「日本人は優秀だから他の民族を支配するのだ」という妄想から来る欲望によってはじめた戦争に婦女子を巻き込んで被害を拡大したのが連中の戦争責任の大きさを考えるからだ。