浅川巧の伝記から


今でも韓国で「聖人」と慕われている浅川巧の話だが、なるほど朝鮮にはげ山が増えたのには、そういう事情があったわけだ。
一応メモしておこうと思う。



当時の朝鮮の山々は、日本が持ち込んだ地籍法により、多くの土地が持ち主不在と認定され、没収の後日本政府に好意的な朝鮮人や日本からの移民に次々と下げ渡されてしまっていた新しく地主となった人々は土地に執着がなく、すぐさま木を伐採し、売り払ってしまう。朝鮮半島は固い岩盤の地であり、そこに薄い表土が覆っているだけである。禿山となった朝鮮の山々はたちまち保水力を失い洪水を起こしてしまうのであった。これに心を痛めた巧は「朝鮮松の露天埋蔵発芽促進法」を考案し、朝鮮の山々の四割を復元したと言われている。その方法とは、山野に落ちている木の実を、林業試験場の畑に埋め、一年程経ってから、再度、元の山に埋め戻す方法である。これによって山の種が発芽することを突き止めたのである。この方法により、徐々に朝鮮の山々に緑を取り戻した。