友清高志の『ルソン死闘記』 をちゃんと読んでおこうね


友清高志の『ルソン死闘記』 講談社を読む

満州第一部隊第86飛行場大隊  将兵580名
1944年7月1日に出帆した・・・・帰還者53名
                          

戦争とはどんなものだったのかをあるがままに書いたものは、多くありますが、この友清高志の『ルソン死闘記』は、その中でも白眉です。フィリピンでの日本軍の統治の実態や民間人虐殺の様子、慰安所の事。それに1930年代の満州の様子を調べるにも役立ちます。

        1、慰安所

まず慰安所から見てみましょう。

P64~68に「朝鮮の慰安婦」という項目があるのですが、これによると

1942年(17年)2月ソ連国境より50キロほどにある小城子において、慰安所に訪れた作者は、又春という朝鮮人慰安婦に出会った。毎週通ったそうだが、そこで身の上話となる。

彼女の育った家は、別に貧しくもなかったが、町の世話人のすすめで、満州女子奉仕隊に応じたという。その時彼女は19才(満18)であった。仕事は日本兵の衣類の繕い物から洗濯などで、月給は住居つきで100円、支度金の欲しいものには30円の前渡しという触れ込みであった。彼女には恋人がいた。1年働けば金も溜まる。その時帰って結婚しようと、恋人に心を引かれながら国を発ったという。
来てみて、事の意外さに動転したが、何事も後のまつり。泣いて訴える彼女に楼主はせせら笑って言ったそうだ。
「ほら、これがお前の支度金30円也の借用書だ。今これに利子がついて60円になった。故郷に帰りたきゃ、迷惑料を入れて120円出してもらおう」


以下は2人の対話

「ワタシネ、トウショウ、シノウカトオモッタコトナントモアルヨ」
「日本人には人買いという悪い奴がいるんだ。そいつに騙されたんだな」
「パクヨ、パクトイウコワイトウプツ、チョウセンニイルヨ、オンアチネ」
「おれもしかし、又春と同じ境遇だからな」
「トウシテ?」
「同じ捕らわれの身なのさ」

「又春も私も同じ大日本帝国の消耗品にすぎない」と作者は書いている。


                  2、フィリピンー日本の支配

ガナップ党の頭主は日本の黒龍会と関係があるラモスという男で、日本軍に協力を惜しまなかった。

しかし、・・・日本軍の目に余る行為から離反していったガナップ党員も多かった。(P84)



             3、特攻の責任者

特攻という狂気の発想のもとに若者をあおった張本人は、第一艦隊司令長官大西滝治郎中将である。しかし彼は後日責任をとって自ら若者の後を追っている。これに比べると、若い生命をあまた死地に追いやりながら背中を見せた富永中将以下首脳部たちの末路はあわれであった。(P93)


             4、虐殺命令

ここで私は、暴虐の限りをつくした藤兵団の一部の行動について、知るだけのことを書かねばならない。いかに兵団の命令とはいえ、私達の部隊も無辜の住民の虐殺に協力しているからである。最初に受領した命令は虐殺である・・・・命令の内容を聞かされた時・・・・顔見知りたちの顔がよぎった。あの善良な住民をなぜ殺すのか・・・納得がいかない。(P94)
・・・・・本体では度胸試しと称して住民を殺戮し、これを自慢話にする兵隊が日を追って増えて行った。
(P95)

こうしてゲリラと疑わしい住民の意図的かつ大規模な虐殺が実行されたそうです。 
「疑わしい」とは、飛行場周辺にいる者、ということだという。

作者はこうした虐殺が親しかったゴリンという名の美しい酒場の娘にまで及ぼうとしたので、「・・早く日本兵のいないところに逃げろ」と言ったのだという。しかしゴリンはおそらく日本兵につかまった・・・。

その日、リパ市長と警察署長一家が夜逃げした。そしてマッカーサーの上陸は親米派の島民を狂喜させ・・・・(P96)

彼の隊の小隊長のこの言葉↓には彼らの苦悩が現れている。

「石川、おれは何もかもわからなくなってきた。なぜおれたちがそこまでやらねばならんのだ。これがアメリカ相手に闘う日本軍のやることか」(P98)


大隊でもっとも虐殺したのは警備中隊である。T中尉は率先して斬首を行った。ゲリラと称して連日どこかから住民を拉致してきたが、ゲリラを立証するものはなにもなかった。

作者は部下に慕われていたT中尉の豹変ぶりを描いて「狂暴も精神現象の一つであろうか」(P98)
と書いている。

リパ地区H憲兵の野太い声が、耳の底にまだ残っている。 
「敵が上陸するまで強姦するな。上陸したらかまわんからやれ。 
ただし、やった女は必ず殺してしまえ。」(p94)

 とも書いている。実に酷い話だ。


               5, 悪夢の藤兵団

住民を殺すにはできるだけ多数を、一か所に集めて殺せーこれが虐殺命令の中にある殺し方である。できれば焼き殺せともうたっている。この命令を忠実に実行する現場を私は目撃した。(P100)


兵隊がありもしない「爆音、敵機だ」と叫び、住民を教会に集めると爆破したのだと言う。(アメリカは教会を撃たないから)(P101)


「ひでえことするなあ」と枝川兵長は顔面を蒼白にして目を吊り上げていた。(102)


住民は日本軍の姿を見ると逃げ出した。日本軍は逃げる住民をますます怪しいとやっきになる。虐殺命令はこれに油をかけた。ついに手当たり次第部落を包囲してみな殺しの策に出たのである。(P103)



            6 ,満州馬賊


作者は満州で育った。有る日馬賊の副頭目の美しい娘が処刑されたという。
満州事変の勃発により、全馬賊が一斉に抗日義兵の旗をあげた。(P26)


馬賊は霊峰の道士について拳法で身を鍛え、道教によって心を練った。千山は正当馬賊の練成道場(P28)
小日向白郎=尚旭東 大頭目

その後、列車の中から嘲笑と青タンを吹きかけられて
柳条溝事件以来、折に触れ、一般満人にはこぞって正義に厚い日本軍を歓迎していると説く先生の言葉がうなずけなくなったのである。青タンを吐きつけた満人への怨念が深まるほど、この疑惑はふっきれなくなって来る。」(P25)
「東洋鬼」
「人不是日本人」
いたるところに書きつらねた彼らの落書きも、先生たちのとく一部の不良分子の仕業だけとも思えない。(P25)


侵略され、勝手に3等国民にされた満州人が感謝しているわけが無いのだが、当時の日本人社会では「満人は感謝している」と教えることになっていたらしい。




 

人生は知らない事ばかりである。

特に日本が引き起こした戦争は、何が起こったのか?なぜ起ったのか?もあいまいにされ、「追い詰められたから」「大東亜共栄圏建設のために」「欧米植民地主義への闘い」などという遊就館的な美化した戦争肯定さえなされている。

しかし、いかに美化しようとしてもしきれないのが、中国、マレー、フィリピンなどの各所で引き起こされた日本軍による住民虐殺行為である。最近の右派論壇では、こうした事実を言及することを「反日」と呼び、「虐殺は無かった」「謀略だ」などと声高に叫ぶのが流行のようだ。

その火の粉は、お隣の韓国にまでおよび、朴大統領が「歴史を直視せよ」と日本政府に提言すると それは「「反日だ」などというレッテルを張っている。7年前友人として「慰安婦」を受け入れる事を忠告してくれた米議会まで「反日」なのだと言う。

これで、「対話の窓は開いている」などというのだから、実にお寒い我が国の精神状況である。