ローマ帝国の性関係の歴史



古代からローマ帝国一夫一婦制度が守られていたがこの一夫一婦制度は、男性による婚外交渉を禁じているわけではない。
禁じられていたのは女性の姦淫と飲酒であり、男の欲望達成は自由なのだ。男が自由に欲情を満足させるために売春宿や大小の浴場は欲望を満たすのに便利な場所であった。
売春宿の業者は、海賊から女を買った。女は「夜の餓」とか「二文銭」とか言われていて、按察官(アイディリス)は登録簿を持っていたので、公娼制度の走りとも言える。
夫の目を盗んで快楽をむさぼる人妻も多くいたので、だからこそ生まれてくる子の父親が保障されるために一夫一婦制が必要だったのである。

ところが、第2ポエニ戦争から前2世紀ころまでの間に、女性の財産取得権、相続権が確立された結果、女性の性的な自由度がにわかに進んで行く。
今日流に言えば「性解放」が起こった訳だ。
上流階級の婦人たちにもスキャンダルが増えていく。まるでどこかの国みたいな話だが、この風潮の中で、男は結婚を忌避するようになる。女性嫌いも増え、少年に愛を語るのが大流行。こうした結婚忌避に対して国家的見地から結婚と出産、育児の奨励が叫ばれたのはいうまでもない。

(『ローマ帝国キリスト教』P176~180からまとめ)