『ローマ帝国とキリスト教』


これまでキリスト教徒は、各地で有力な団体を造っているユダヤ人から迫害され、その中傷に苦しめられた。イエスの最後の晩餐を記念する儀式は曲会され、人肉を食うと宣伝され、信徒同士が兄弟姉妹と呼びあうことから、近親相姦とか乱婚のうわさが広められた。
こうした中傷やうわさを消すために彼らはとくに厳しく純潔を守り、倫理的に非難されない生活を持することに努めた

こうした厳しい純潔を守りながら、相互に己を捨てて奉仕しあう独自の愛の共同体をキリスト教徒は各地につくっていた。

キリスト教徒が中傷された近親相姦や乱婚は、彼らのところでこそ日常の出来事であった。そうした生き方のまことに輝かしい手本がネロの宮廷であった。

ネロにキリスト教徒迫害を示唆したのは妻のポッパイアであったというが、彼女は美貌、財産、機知に恵まれていたが、若い時から貞淑な仮面をかぶって放縦な生活を続け、その結果ネロの性の指南やくとなった。しかし母親のアグリッピナは、あの淫婦ユリアの孫、カリグラの妹であり、ネロに近親相姦を迫ったという。タキトゥス年代記」)カリグラは彼女を含む3人の姉妹と近親相姦の関係にあった。やがてアグリッピナは「アウグスタ」の称号が与えられ、ウェスタの巫女のもつ特権も加えられ、外出にあたっては皇帝と同等の、さらには神官や神像と同等の、様々な名誉が重ねられる。


ネロはこの母親を謀殺し(59)、最初の妻オクタウィアとの姦淫をアニケトゥスに偽証させ、その罪で殺害し、ポッパイアと結婚した。そのポッパイアも3年後にはネロに妊娠中のお腹をけられ死ぬ。ネロはそれより前に弟のクラウディウスを毒殺しており、数々の乱行をなした。

タキトゥス年代記」13巻25節
「56年、首都の外は平穏無事だったが、内は甚だしく風俗が乱れた。ネロは奴隷の着物を着て身分を隠し、首都の街路や娼家や居酒屋をほっつき歩いた。つき従うものらも、店先にならべてある品物をかっぱらい、道に出会う人に傷を負わせた。・・・・・・・放縦がいったん大目にみられたのでほかの者たちもそれを真似て、と党を組み、ネロの名を語り、狼藉をはたらいて罰をまぬがれた。こうして都は夜になるとまるで占領された市のような様相を呈した。

やがて首都の大火が起こる。
(『ローマ帝国キリスト教』P309~)

ローマの宗教は、市民が拝する主要な神々であり、国家神として王や役人、神官団により祭祀がなされた。
ローマでは人間の不幸は、神々に対する犠牲の捧げ方が足りないために神々が怒ったことの現れだと、考えられた。ハンニバル戦争の時のような国家的危機に際しては、市民こぞって供犠に参加し、熱心に国家祭祀がなされた。