本当の「自虐史観」=神話に見る「青人草」「人草」の表現

 
日本神話は、主権在民の民主主義精神に反している。
 
それは「青人草」「人草」の表現をみてもわかる。
 
国土や神々の誕生は描かれるが、人が生まれたことを日本神話は書いておらず、ただそれを国土の付属もののように扱っている。
 
日本神話は「王権神話」であり、王権の正当性を主張している。ゆえに一般の人々はまったく考慮されていない。天皇と豪族の由来を語るだけである。
 
だから「青人草」「人草」の表現になるのである。(参照;末木文美士『日本宗教史』P17)
 
こんなものを読んで育つ子供が「自分は、国土の付属品で「青人草」「人草」だ」=「臣民だ」と卑下して考えるようになるのは当然といえる。
 
これこそ本当の「自虐史観」である。

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人々。人民。たみくさ。あおひとくさ。 「汝の国の-,一日に千頭(ちかしら)絞(くび)り殺さむ/古事記 上訓」

黄泉の国でイザナギイザナミに追われているときに
イザナミ「愛しき我が汝兄の命。かくしたまはば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」
イザナギ「愛しき我が汝妹の命。汝然したまはば、吾は一日に千五百の産屋を立てむ」と

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黄泉国巡りでイザナキは,追いかけてくる黄泉軍(よもついくさ)に,桃の実を投げて退散させる。
そこでイザナキは,「汝,吾を助けしが如く,葦原中國にあらゆる現(うつ)しき青人草の,苦しき瀬に落ちて患ひ惚(なや)む時,助くべし。」と言う。
国生みでは国土と神々を生んではいるが,人間を生んだという記述は存在しない。にもかかわらず、途中でいつの間にか人間が存在するがこれを「草」と呼んでいる。
 「青人草」。
 人はその辺から生えて来た草みたいなものだという蔑視がそこにはある。そしてそれは「神」または「神の子孫」としての天皇や豪族、貴族とはまるで違う存在なのである。
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ウマシアシヂカビヒコ
 立派な葦の芽の男神の意。この神の誕生のイメージは、「青人草(あをひとくさ)」と呼ばれる人間の誕生と重ねられている。
人間の誕生について、古事記は何も語らないが、後に出てくる「青人草」や「人草」という言葉から考えると、人は「草」であり、土の中から萌え出た草の仲間であると考えていたらしい。(神代篇 其の一)

『口語訳古事記完全版』注釈より
http://www.bunshun.co.jp/book/80kojiki/cyusyaku.htm


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