道徳価値についての問いかけ
ある人があなたの友人に残酷な行為をした。
ところが、彼はこう主張した。
あなたは何と答えるだろうか?
「自分の行為によって相手が痛みを感じるということが、その行為を控える理由となるのは、それはあなたが、「いわれなく痛みを与えることは悪い」という道徳原理をたまたま受け入れているからだ。しかし俺的には”自分が生きている実感を味わえることが、もっとも価値のあることである。自分が生きている手ごたえを持つことは、もっとも重要なことであり、善である。善し悪しはその人次第である・・・・・」(大庭健『善と悪』P38より部分引用)
自分の理想のために他を苦しめるというきわめて自己中な理屈である。
そしてこの主張は「自分にとって崇高な価値を追求するときは、道徳なんてどうでもいい。自分はそういう特別な存在である」という幼児のような主張を暗示している。
その後、ナチスや日本軍部と同じような理屈を振り回していたのが、「左翼」(共産主義)という輩であり、彼らの理想の世界をつくるために、世界中でハイジャックをしたり、大使館ジャックをしたり、銃を持って一般人を巻き込みながら「革命」だと騒いでいた。
いづれも、道徳判断の上に、別の、自分たちのみに通用する自己中な価値観を上位においていたのである。
今日においても自分たちに気持ちいい嘘を唱えながら、「朝鮮人殺せー」とか「犯せー」とかやっている人たちがいる。
それは在特ばかりではないだろうが。
彼ら自身が定義した”アイコク”のためには、嘘もつけば、人も殺すというのがウヨクの世界である。
こうして彼らは普遍的な価値観に挑戦しているのである。
ではなぜそうなのか?
そこには彼らの信じる「神道」という擬似的宗教が深くかかわっているのだ。