道徳価値についての問いかけ

 
ある人があなたの友人に残酷な行為をした。
ところが、彼はこう主張した。
あなたは何と答えるだろうか?
 
「自分の行為によって相手が痛みを感じるということが、その行為を控える理由となるのは、それはあなたが、「いわれなく痛みを与えることは悪い」という道徳原理をたまたま受け入れているからだ。しかし俺的には”自分が生きている実感を味わえることが、もっとも価値のあることである。
自分が生きている手ごたえを持つことは、もっとも重要なことであり、善である。
善し悪しはその人次第である・・・・・」
                   (大庭健『善と悪』P38より部分引用)

 
自分の理想のために他を苦しめるというきわめて自己中な理屈である。
 
そしてこの主張は「自分にとって崇高な価値を追求するときは、道徳なんてどうでもいい。自分はそういう特別な存在である」という幼児のような主張を暗示している。
 
しかし、近年こうした自己中な理屈が世界を震撼したことがあった。たとえばナチスは彼らの理想とする世界をつくるために道徳的な善悪を排除し、ユダヤ人を強制収容し、殺害した。
 
同じようなことを大日本帝国もやった。自分たちが理想とした「天皇を中心としたアジア世界」を作るために他の国へと出かけ、侵略した。そして2000万人を巻き込みたくさんの人に苦しみを与えたのだ。
 
 
「日本が強くて、島をどんどん拡げようとしてたから、アメリカがそんな自分勝手なことするなって言って、戦争勃発みたいな感じじゃなかったっけ?」
ももクロの戦争認識
大きくはずしていない。

 
その後、ナチスや日本軍部と同じような理屈を振り回していたのが、「左翼」(共産主義)という輩であり、彼らの理想の世界をつくるために、世界中でハイジャックをしたり、大使館ジャックをしたり、銃を持って一般人を巻き込みながら「革命」だと騒いでいた。
 
いづれも、道徳判断の上に、別の、自分たちのみに通用する自己中な価値観を上位においていたのである。
 
今日においても自分たちに気持ちいい嘘を唱えながら、「朝鮮人殺せー」とか「犯せー」とかやっている人たちがいる。
 
在特会やその周辺のいわいる行動する保守界隈の人々に対して、我々が感じる違和感の根源は、我々の持つ普遍的な道徳的価値観よりも、自分たちの”日本主義”を上位においていることである。
それは在特ばかりではないだろうが。
彼ら自身が定義した”アイコク”のためには、嘘もつけば、人も殺すというのがウヨクの世界である。
 
こうして彼らは普遍的な価値観に挑戦しているのである。
ではなぜそうなのか?
 
そこには彼らの信じる「神道」という擬似的宗教が深くかかわっているのだ。