中川八洋教授の書いた『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』について

 
 
中川八洋教授の書いた小林よしのり「新天皇論」の禍毒』という奇怪な本がある。全編が女系天皇論への呪詛に満ちている。毒虫を集めビンの中に入れ殺し合いをさせた後に残った気を吐き出せば、こんなものになるのだろうか?いわば籠毒の気である。
 
言っておくが私は小林よしのりにもこの本の中でギッタギタに批判されている長谷川三千子埼玉大学教授)にも小堀桂一郎にも何の好意ももっていない。長谷川三千子について中川はこんなことを書いている。
 
「脳が昆虫程度しかないのか、学業業績ゼロを記録する。」(p213)
「学者モドキ「エッセイスト」」(p213)
長谷川三千子の嘘は数えられないほど多い」 (p213)
「虚言は度をすぎて悪質である」(p215)
 
よく名誉毀損にならないな、と感心する。

確かに長谷川の著作皇国史観とは何か』の主張する

大東亜戦争は、力と力が野蛮な世界秩序に挑戦し、徳治を基本とする世界新秩序を打ちたてようーこれが大東亜戦争における日本の戦争理念だった」(P53)

というデタラメには辟易とさせられる。皇国史観を擁護する人間が現在の政権のごく近くにいて、デタラメな歴史を創作して吹聴するばかりか、NHK経営委員として政権側の代弁者として送り込まれている今日、いつNHK皇国史観の再評価?を放送するか、気が気でない。
 
中川の主張にも一理あるだろう。

「・・・日支戦争の8年間で、支那に向かって日本が「徳治」を訴えたことなど一度もない。米国や英国に向かって「徳治」を発した文書も一つもない。開戦の詔書を見れば明らか。こんなことは政府のいかなる文書にも、陸海軍のそれにも、そんな言葉はどこにもない。自明だろう。学者以前に長谷川とは虚構の歴史を妄想する6流小説家である。祖母の宇野千代が泣いている。
また日本の対米/対英に対する開戦の決定の御前会議(1941,7,2 9,611,5)でも徳治という言葉やそれに類する趣旨や表現はない。匂いほども検討されていない。虚言は度をすぎて悪質である」(p215)
 
「レトリックの奇怪さ」(p213)などという表現もあるのだが、これも中川発でなければ、何の文句もありはしない。中川はこの本の中で批判する相手に対して「赤い○○」という表現を連発している。「赤い○○」とは中川流にいえば「共産主義」のことだ。
相手を共産主義指定にしているのだ。

「赤い内閣法制局」「赤い宮内庁」(P4)「マルクス・レーニン主義から生まれたジェンダー」・・・などのレトリックがいたるところにちりばめられている。こうした言葉が常人が知っているモノとは違う概念で使われていることは明らかだろう。何でも気いらないものを「赤い●●」にしてしまうこの本は、ネトウヨが「在日認定」するのとよく似ていてそれ自身がレトリックに満ちているのである。