古代宗教はこんな風に広まり、人々を支配した



自然の中には、強い存在感を放っているものがある。
例えば、滝。
そびえ立つ山。
巨木。

屋久島に行って巨大な屋久杉の前に立った時、我々はそこに強い印象を受ける。また清らかな気分になったりする。それは普通にあることだろう。

さて、ある大陸のある場所、巨木のある森に、ある人が来たとしよう。
彼は、その巨木を見立てて、彼の故郷に伝わっていた神話の神の化身だと唱えはじめる。
こうして、巨木に本来は無かった意味つけがなされる。

そしてしめ縄をはり、「ここでその神は生まれた」と述べ”聖地”として定めた。
そして、住民に毎年その神に捧げものをするように言う。

  ここはバールの生まれた地である
  バールのお陰で、豊かな穂が実る
  また、海の幸は、バールの弟、ユンテルのお陰だ。
  毎年、捧げものをすることで、実りと平安があるが
  もし怠るなら、飢饉が来るだろう

これは一種の詐欺のようなものであり、捧げものは世襲した神官のものとなる。
こうして架空の神の名による祭りが始まる。元々、バールに捧げようと、捧げまいと、豊かな実りがあった土地だが、今やバールのお陰で実る、とされたのである。
かつて神官は人々の心を支配し、まるで領主のように余禄を得たのである。時には、女奴隷を捧げさせることもできたのである。

神話の中で、この神バールは、無数の恋人がいた。ある時バールは木の幹に埋まっていたのだが、それを掘り出したのが後の恋人アプロである。アプロはアプロで、無数の神々、人間の恋人を持っていたという。こうした神話下でお祭りが始まる。

すなわち、乱交の祭りである。

この祭りの中では、男も、女も、乱痴気騒ぎ(オージー)に加わらなければならず、つがれた酒は飲ならず、求められた性交は、拒否してはならないとされていた。人々はその月の15日、満月の晩に3日3晩、歌い踊り、交わり、オージーを楽しむ。

こうして、一つの伝統が生まれ、疑うことを知らない人々の間で、信じられないほど長い期間続いていくのである。

存在さえしない神バールの名による支配と不届きな祭りこと。
嘘と虚妄が造り出す世界である。