国体論と記紀神話に基づく神話教育

明治維新は雄藩によって達成されたが、その中でも最も明治政府を支配したのは、長州藩であった。吉田松陰の弟子たちである。
松陰の思想は国学をベースにし、水戸学を吸収している。
松陰の国体論をもとにその弟子であった伊藤博文大日本帝国憲法を創った。やがてその国体論と記紀神話に基づく神話教育が1903年に全国で始まった。




国体論と記紀神話に基づく神話教育

明治36年(1903) 第一期国定教科書(小学日本史)以来、歴史教科書は神話からはじめられるようになる。

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(大意)
わが国は皇統の一系をたもち続けてきた。本条は、その立国の大義をかかげるのであり、一系の皇統として水遠にして不変なることを確認し、君民の関係をあきらかにする。古典に見るように、神勅をうけて係が降り、代々の天皇がこの国を統治してきたのであり、憲法はこれに基礎づけられる。

   ( 神野志隆光著『古事記と日本書記』p201-p202から抜粋)


こうした国家的な神話教育に強く影響を受けたのが、後に右翼革命・軍閥専制を引き起こす世代である。政党政治に反発し天皇中心革命を企てた昭和維新、3月事件、血盟団事件、5.15事件、などを引き起こした右翼・青年将校たちは皆このような教育を受けていた。