フェミニストのバイブル ケイト・ミレットの『性の政治学』を読む


第2波フェミニズム運動にとって、バイブルのように扱われたケイト・ミレットの『性の政治学

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内容についてはこれまで述べていた通りである。

簡単にまとめると
「セックスは男性の女性に対する支配」であり、隷属関係であり、「搾取と抑圧の原型」であり、性革命によってこの支配体制をひっくり返すのだというものであり、「男性が女性より優位」であり「両性にはそれぞれ適した役割」が有ると言うのは嘘だ。
社会制度としての父権制の原単位は、一夫一婦制によって築かれている家族であるから、まずここを切り崩さなければならない。父権制的一夫一婦制を守っているあらゆるタブーと闘うために、同性愛、婚前セックス、婚外セックス、私生児などを社会的に受容して行くことが必要である。男性優位主義イデオロギーを排撃し、そこから生まれる男らしさ、女らしさに対する社会的評価を全部捨てさらせる。


という事になる。

それから、広範な共産主義の影響・・・というより、共産主義の信奉者たちを読者とすることを念頭に置いた著作である。

あとがきを見てみよう。

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 ①女性解放運動の中で「運動のバイブル」とされた事

マルクス主義の空白部分を埋め、マルクス主義の立場に立つ女性に影響を与えた。

なるほど、上野が影響を受けた理由も分かる。









        p619


次に、フロイドとライヒ発「性革命」の影響を見てみよう。


イリアムライヒ

元々フロイドは、性の問題を過剰に捉えた人物である。そのフロイドに嫌われながらも、弟子であったライヒは、フロイドの性理論を元に、マルクスの革命思想を加邁しながら、自分の理論を構築していく。フロイドの昇華による文明構築はライヒによって否定され、本能の充足を重視し、満足しえるオルガスムを得ることこそが、人間を抑圧から解放し自由をもたらすという。上野千鶴子が述べている「性の自由」はまさにライヒの理論と言えるであろう。そして性器による性の自由な実践こそライヒの真骨頂なのである。1960年代の欧米を席巻したフリーセックス思想の登場である。

このライヒを、共産主義と結びつけ、女性の「性の自由」を唱えたのがこの著作である。「性の自由」は抽象的な意味ではない。文字通り、性器による性行為の自由を唱えたのだ。

一応、目次を示しておくことにする。

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p6

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フロイド・エンゲルス・性革命などの目次が見えるはずである。

これにダーウィンの進化論が加われば、19世紀に生まれ、20世紀を席巻した唯物論理論がそろい踏みだが、進化論の優生学フェミニストの理論に加わるのはもう少し後の話である。


フェミニズム運動のはじまりである(とフェミニストたちが見なしている)『女性の権利の擁護 (Vindication on the Rights of Woman) 』メアリ・ウルストン・クラフト著)は、女性の権利拡大を目指した。男性と同じ政治的権利や教育を受ける権利を女性も持つべきだという主張であり、それは正当な要求であった。

しかし、第2波フェニミズムは(少なくともケイト・ミレットは)女性の権利拡大運動ではない。
女性の権利拡大運動ではなく、女性の性の道徳からの解放運動なのである。いや権利という言葉を使うなら、それは「道徳に縛られず、女性が誰とでも自由に性交しうる権利」ともいえるかもしれない。言葉を換えれば、「性道徳破壊運動」ともいえる。そしてそれは、その発生源である共産主義同様に、世界に破壊と荒廃をもたらそうとする。その破壊の標的こそ、20世紀になってやっと確立されてきた一夫一婦制の結婚制度であった。熱心なキリスト教徒であったメアリ・ウルストン・クラフトの願いは、結婚制度の破壊などではなかったのだが、唯物論を経由しながら、20世紀後半の女性運動は変質してしまったのである。

こうしてフェミニズム一夫一婦制の破壊をしてきたので、米国では米国大統領が「家族の価値」を唱えた。これにならって、日本でも日本会議などが、ジェンダーフリーを敵視しながら、「家族の価値」を言い募った。ただし、日本会議のよみがえらせようとする日本の伝統的家族とは、米国のピューリタン的な家族観ではなく、明治国家の家族観であることを理解しなければならない。女性の権利が著しく抑制され、男性は妾を持てる一夫多妻制であり、父母への崇拝と先祖祭祀に基づく先祖崇拝、そして究極的には現人神・天皇を崇敬するという世界観である。

フェミニズムはこうした彼らの主張に一定の正当性を与えてしまったのである。


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