厳つい顔だけどいい奴だった 平八郎

 1833年天保の飢饉がおこり、庶民の生活は苦しかった。平八郎は自分の財産を投げ打って窮民の救済に当たっていたが役人と結託した問屋の買占めがなされたので、1837年、窮民の救済を目指して蜂起した。大塩平八郎の乱である。この反乱を平定した幕府はこれを機に日蓮宗不受不施派の全国一斉検挙(天保大法難)に乗り出すのである。
 
大塩平八郎陽明学者であると共に日蓮宗徒であった。恐るべき見識と正義感を兼ね備えた人物であり、日本の偉人ベスト50の一人である。その証拠に当時幕府は平八郎の悪口をいいふらしたが、大阪庶民の多くはそれを信ぜず、大塩平八郎の偉業を後世に伝えたのであった。

一部の歴史学者は「歴史は権力者のいいように作り変えられている」と言う。
しかしそれは証明されていないドグマである。
もし歴史が権力者のものならば、この大塩平八郎の乱の事など詳細に今日まで伝わる訳がない。
 
当時の大阪庶民の多くが、平八郎の偉業を伝えた事によって、後の関西には龍馬や桂小五郎のような倒幕志士を応援する気運が高まり、大阪、京都の商人の中には全財産を賭けて倒幕志士を支えた者さえ現れたのである。龍馬を支援した近江屋や寺田屋はその例である。ゆえにもし平八郎の乱がなければ明治維新は成し得なかったと私は思う。