従軍慰安婦問題・・・・売春と雑魚寝、神殿淫行の国━日本

人身売買としての「公娼制度」という話をして来た。
 
では、なぜ日本では遊郭は盛んだったのであろうか?
それは、日本が神道の国だからである
 
神社では昔から、お祭りを行って来たが、その祭りの多くは、性交の祭りであった。
これを「淫行儀礼」「神殿淫行」と言う。
 
の調査によれば、古代の神社のお祭りではしばしば「白拍子」などの遊女が主役となり、さらに儀礼としての性交、雑魚寝の風習が全国にあったと言う。
 
日本巫女史』 『愛欲3000年史』 などによると、
 
「・・・・徳島県那賀郡宮濱村の東尾神社の祭礼には、下の病気のある女子は、全快するまで何人の男を取ると願込めし・・・それを行う女子は、誰でも分かるように、腰に白地の手拭を挟んで目印とする。それで腰の手拭を目当に言い寄れば、誰彼の差別なく神に誓っただけの男に許す。・・・・」

「・・・・さらに露骨なる貞操の提供は大分県臼柄町の近村に行われた8月15日の**祭である。これは祭りの夜になると、その村の全ての婦女子は、必ず三人の男子と関係せねばならぬ義務が掟となっていた。それがために若くて美しい女は掟通りの義務を容易に果たす事ができるも、老いて醜い女は一人の男すら得られずして、夜を明かしてしまうような悲しい喜劇が繰り返されたという事である。(郷土趣味十二)」

「・・・・茨城県北相馬郡文間村大字立木の咬網神社の祭礼は、毎年筑波凪が肌寒く吹き始める10月の13、14日の両日に行われる。・・・・・行事が終わるとこの祭礼の名物となっている性の解放が公然と展開される。そしてこの事は参詣者各自の信仰から出た事なので、風紀の上からは苦々しい事ではあるが、警察でも厳重に取り締まることができず、現在でもさかんに行われている。
・・・・既婚の女ばかりか未婚の娘までが、良い婿が得られるという迷信から、惜し気もなくその肌を未知の男の前に投げ出すのである。・・・・・昭和の現代にこうした行事が残っているとは、民俗の永遠性が窺われて面白い話である。由来、茨城県には筑波山のカガイと称する、有名な性の解放祭が存じただけに、こうした祭礼が今にのこった・・・・」

「・・・・東京に近い府中町の国魂神社で行う闇祭も、かなり露骨な性の取引があった事・・・・京都に遠からぬ宇治町の闇祭にあっては、異名を種貰い祭と言われただけに、極端なる性の解放が行われたものである。・・・・」

 ようするに日本中の神社で行われて来た「秋祭り」「闇祭り」は元々「性の祭り」だったのだという事である。そして日本の神社が遊女の活躍の場であったことはよく知られている。
 
 
 
つまり、神道の国・日本では売春は当たり前のようになされていたのである。
 
だから明治以来、神道を国教化した大日本帝国が、従軍慰安婦と言う性の問題を起こしたのは当たり前なのである。
それはキリスト教及びキリスト教的価値観神道的価値観との価値観における闘いであった。
 
さらにこの面を追及するならば、江戸時代に流行した「お陰参り」についても書かない訳には行かないだろう。
ゆえに次の記事は「お陰参り」と「遊郭についてである。