黄錦周さんの証言

1941年20歳の時ソ満国境付近の「慰安所」に入れられた黄錦周さんは、「一日に相手にした軍人の数は30~40人くらいでしたが、休日には軍人達がふんどし一枚で列をつくるほど押し寄せました。(中略)子宮が腫れて血膿がでて兵隊の相手をすることができなかった日、ある将校が来て相手ができないなら、代わりに・・・・・・するとその将校は『この野朗、殺してやろうか』といってめちゃめちゃに殴る蹴るの暴行を加えました。・・・」と語っている。
(『証言ー強制連行された朝鮮人慰安婦達』より)