小林よしのりーの慰安婦論の問題点(1)

1996年、6月
 
自民党の中に「明るい日本・国会議員連盟」 (116人の国会議員が参加) がつくられた。
 
これは1993年8月の細川首相の「侵略戦争発言」に反感を覚えた議員達があつまった「歴史検討委員会」の業績を受け継ぎ、「終戦50周年国会議員連盟」が名前を変えたものである。
 
つまり、「歴史検討委員会」と「終戦50周年国会議員連盟」を引き継いだのである。
 
 
タカ派議員が集まる「明るい日本国会議員連盟、翌年からの中学歴史教科書に「慰安婦記述」がなされる事を問題視し、国連の動きに対抗し、国内での巻き返し を謀っていた・・・。
 
そのやり方は、文化人・著名人を前面に立てるというやり方だった。
 
1996年、9月日本を守る国民会議が「教科書から従軍慰安婦記述の削除のために、2つのキャラバン隊に分かれて地方議会への働きかけ」をはじめた。こうして地方議会では、「慰安婦記述を教科書から削除させよ」という意見書を採択したところもあった。
藤岡氏や小林氏が「従軍慰安婦」について書き始めたのもその頃であった。
 
 やがて12月になって藤岡氏や小林よしのり氏が新しい歴史教科書をつくる会を始める。
 
さて、やっとここまで来たが、以上が「朝までテレビ」(1997、2月9日)の中で小林氏たちがデープ・スペクター氏に「油ぎったのがあんたらの背後にいるでしょう」と言われて、何も言えずに具合の悪そうな顔をしていた背景である。