小林よしのりの慰安婦論の問題点ー『武漢兵站』
小林よしのりは『新ゴーマニズム宣言』第3巻の中でこの『武漢兵站』を資料として用いて、「日本軍はそれまで奴隷状態だった慰安婦にむしろ人権を与える方向に管理している」と書いているのだが、自分でこの資料を一度も読んだ事がないのが、バレバレである。
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『武漢兵站』の著者である山田清吉氏は、三春という名前の慰安婦の話を書いている。
彼女は、前線にたつ将校から、前借金を返すのに使えと言われて、大金をもらった。ところが彼女は解放されなかった。山田はその理由を書いている。
その金は・・・確か2000円くらいだった。しかし、こうした外から入ったまとまった金で借金を返すことは許されていない。前借金はすべて妓が自分の体で働いて返さねばならないのである。
自分の体で働いて返さねばならない借金??
それはもう借金などではなく、慰安婦達を拘束するための口実である。
当時の国内の公娼制度が建前上で認めていた「廃業の自由」さえなかったのである。そしてこの規則は軍が作ったのである。
2
漢口慰安所には多くの女性がいたが、その内17人について山田は詳しく書いている。その内4人は朝鮮人女性だが、4人のうち1人は自殺。一人は病死。一人は16歳の少女で違反なのだが、軍が許可して営業させている。1人が故郷に帰ったそうだ。描かれているのは”地獄”のような世界である。日本人慰安婦さえ、「こんなつらいところに1日だって辛抱できやしない」「もう積慶里(慰安所のあった場所)には死んでも帰らない」と叫んだと山田は書き留めている。
こう書くと歴史修正論者達は、「それは業者が勝手にやったことだ」とか言い訳するわけだが、あいにくとこの話は軍が直接支配していた慰安所の話である。
3
『武漢兵站』にはこう書かれている。
業者にもいろいろあって・・・・リュックサック一つ背負って大陸に渡り、荒稼ぎを狙った一発やもあった。それと軍命令によってしかたなく支店を出していた松島、福原あたりの老舗もあって、・・・・
つまり業者をみな集めて、命令し、軍の慰安施設に組込んだのだというのである。
漢口慰安所のあった地区はここだけが高いレンガに囲まれていた。それを軍が接収し、慰安婦達と業者を押し込め、兵站施設として管理したのである。
そのために山田清吉のような慰安係長などが、軍の兵站司令部の命令で着任していたのである。
その著者である山田清吉氏は、92年1月の朝日新聞で「当時はこの手の資料はいろいろあったが、今はほとんど残っていない。珍しいものだと思う。私は漢口で慰安所の監督をしていた。軍が慰安所を統制、管理していたのは誰でも知っていること。」と述べている。
我慢強い女性達が「こんなつらいところに1日だって辛抱できやしない」と叫んでいる地獄のような場所で、高いレンガに囲まれて廃業の自由もない。これを「軍事的性奴隷」(クマラスワミ報告)と言わずにどう言えばいいのだろう?
参考文献)
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『脱ゴーマニズム宣言』
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