ラーベが「悪霊」と呼んだものは?

日本兵南京虐殺の証言を集めたものとしては、松岡環の『南京戦』があります。
南京虐殺の目撃者と言えば、日本軍兵士や中国人の他に、外国人がいました。彼らは進攻した日本軍から避難するための「難民区」を造りました。そしてリアルな日記を書いています。
バーリントンはあまりにひどい現場を見たため、精神を病み、41年には自殺していますが、その日記には女性の目から見た強姦が恐怖をもって書かれています。ドイツの外交官だったローゼン・・・この人は祖母がユダヤ人だったため、後に外交官としての地位を失うのですが・・・・あまりにひどい日本軍の横暴を本国ドイツに送り続けました。その内容が『資料・ドイツ外交官から見た南京事件』という本にまとめられています。
ローゼンは、日本で裁判をした夏淑琴(かしゅくきん)さん一家が虐殺された現場に、マギー牧師とともにでかけ、マギーの16mmフィルムの解説書を添付して本国に送りました。
南京難民区国際委員会の委員長に就任したのは、ドイツ系ジーメンス社南京支社の支配人であったラーベでした。ドイツは同盟国でしたから、交渉が有利になる事が見込まれていました。これから書くのは、そのラーベの日記からの抜粋です。12月16日、松井石根の南京入城式の前日。

「下関(シャーカン)にいく道は一面死体置き場と化し、そこいらじゅうに武器の破片が散らばっていた。・・・あたり一帯は文字通り死屍累々だ。日本軍が手を貸さないので死体は一向に片付かない。・・・・銃殺する前に、中国人元兵士に死体の片づけをさせる場合もある。我々外国人は身体がこわばってしまう。いたるところで処刑が行われている。一部は軍政部のバラックで機関銃で撃ち殺された。・・・・
今これを書いている間も、日本兵が裏口の扉をこぶしでガンガンたたいている。ボーイが開けないでいると、塀から頭がにゅっとつきでた。小型サーチライトを手に私が出て行くと、サッといなくなる。正面玄関を開けて近付くと、闇にまぎれて路地に消えて行った。その側溝にも、この3日というもの、屍がいくつも横たわっているのだ。ぞっとする。
女の人や子供たちが大勢、庭の芝生にうづくまっている。目を大きく見開き、恐怖のあまり口もきけない。そして、おたがいによりそって体を温めたり、はげましあったりしている。この人達の最大の希望は、私が「外国の悪魔」日本兵という悪霊を追い払うことなのだ。」

ラーベは38年4月に帰国するとドイツ各地で講演会を行い、ヒトラー親日外交路線の転換を求める上申書を出したりしています。このためゲシュタボに逮捕されました。以後南京事件の事は一切口にしない事を条件に釈放されました。