プラトンよ、おまえもか!・・・輪廻・転生を考える


輪廻・転生と言えば、仏教が有名である。
最近、現在亡命中のダライラマが、転生活仏制度を廃止を述べたというので話題を集めた。
これは元々、インドの哲学に「輪廻転生」が説かれていたので、仏教にとりいれられた訳だが、チベット仏教はそれを制度化したわけだ。

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ダライ・ラマ14世が自身の後継者を選ぶ「転生活仏制度を廃止すべきだ」との発言。チベット仏教では、ダライ・ラマなど高僧は自身の死後、生まれ変わりとされる子供を後継者に選ぶ「転生活仏制度」がある。

ところが、インドから遠く離れたギリシャにも「輪廻転生」思想があり、シャカと劣らない哲人プラトンがそれを唱えていたのを知っているだろうか?
今から2500年も前、シャカとほとんど同時期であった。

プラトンは、各人の魂は生前の行いの報いとして、死により肉体が消滅した後も、他の生き物へと転生すると考えていた。学術都市アレクサンドリア』P70)これに対してその弟子であるアリストテレスは、生物間の交流を否定しているが。

魂に「輪廻・転生」が有りうるか?
これはなかなか面白いテーマである。

心理学者S・T・グラフは、幻覚剤LSDの大量投与による精神病の治療を行っていたが、その時、前世のような記憶が顕れた患者がいたという。(『自己発見の冒険』)

一方「先祖無意識説」を唱えたL・ソンディ流に言えば、「先祖無意識」であって「生まれ変わり」とは言えないだろうが、我々の心の意識しがたい底辺に、先祖の記憶がこびりつき、我々の病の原因となったり、行動の隠れた動機となる可能性は十分ありうるだろう。

現在、安倍普三がやっている諸々の先祖がえりのような政策が、彼のじいさんの遺伝子である事は、誰でも感じるだろう。そして今日本ではおよそ70年前と良く似た現象が起きているのだ。