映画「パトリオット」に見る独立戦争期の貞操観念について
昔、『パトリオット』という映画を観た。
18世紀の米国の独立戦争を描いた映画である。
元々戦士だった主人公マーティンは、英国軍の非道に息子を殺されたのを期に、民兵を組織して神出鬼没のゲリラ戦法で圧倒的な英国軍を壊滅させていく。
その過程で息子のガブリエルは戦死するのだが、そのガブリエルの恋愛と結婚が描かれていて、美しい娘アンに恋したガブリエルが戦争の合間に婚約者となるアンの家を訪問し、宿泊するシーンがある。
夜、アンの母親がアンの寝室でガブリエルをフトンに縫いつけ、身動きできないようにする。ガブリエルは「泊めてもらうんだから、これぐらい当たり前です」といい、寝室から出て来たアンの母親は心配そうに様子を伺っている父親に「大丈夫ですよ。あなたの時よりきつく縫いましたから」と言う。
時代考証がどれぐらい正確なのかは知らないが、この「縫いつける」話はどこかで聞いたことがある。開拓民の中にはキリスト教徒が多くいたし、キリスト教はカトリックもプロテスタントも元来、性道徳が厳しかったから、貞操を守ることは大切な美徳であった。そこで、結婚するまでは婚前交渉をさせなかったのである。現代日本人には、理解しがたいかも知れないが米国の保守層にはいまでも堅い性道徳が守られている。
同時代、日本では遊郭や神社での乱交や夜バイの風習が全国に広がり、農村の親もそれに加担していたから、まったく違う世界が産まれていたのである。
もちろん、世の中には「婚前交渉は当たり前、自由じゃん、性の自由化すべき」なんていう人達もいるのだから、こうした米国のクリスチャンの有り方を、「古臭い」と言って否定する人もいるのだろう。しかし私は優れた文化・文明だと思う。そしてこうした規範・道徳があったからこそ、20世紀に米国は世界のリーダーになり得たのである。また逆に今日、衰退しつつあるのは、性革命によりフリーセックス思想が蔓延したからだと思う。
『聖書』を我々クリスチャンは神様からのメッセージとして捉えているが、その『聖書』には次のように書かれている。
1:ローマの信徒への手紙/ 13章 13節
日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て
1:ペテロの第二の手紙/ 02章 14節
その目は淫行を追い、罪を犯して飽くことを知らない。彼らは心の定まらない者を誘惑し、その心は貪欲に慣れ、のろいの子となっている。
7:ユダの手紙/ 00章 07節
ソドムやゴモラ、またその周辺の町は、この天使たちと同じく、みだらな行いにふけり、不自然な肉の欲の満足を追い求めたので、永遠の火の刑罰を受け、見せしめにされています。
旧約聖書にも、淫行への戒めは非常に多く、これが『聖書』の主要メッセージの一つであることは言うまでもない。
1:歴代誌下/ 21章 11節
ヨラムはユダの山々に聖なる高台を造り、エルサレムの住民に淫行を行わせ、ユダの人々を堕落させた。
2:ホセア書/ 02章 02節
「あなたがたの母とあげつらえ、あげつらえ――彼女はわたしの妻ではない、わたしは彼女の夫ではない――そして彼女にその顔から淫行を除かせ、その乳ぶさの間から姦淫を除かせよ。
ところで、独立戦争を描いたこの映画は、いうまでもなく英国を残虐な支配者として描いているが、英国で上映が禁止されたり、「歴史戦」が仕掛けられたりしたのだろうか?
我が国では、先年、映画『アンブロークン』が 、一時上映禁止 に追い込まれたが、その原因は文春や産経、ネトウヨたちによるデマであった。http://ryuma681.blog47.fc2.com/blog-entry-1143.html
こうしたことが起こるのは、先進国と言われている国では日本だけであろう。
先進国のはずだが、それは金持ちだというだけで、理念や理想の点では原始人みたいな人たちがたくさんいるのが、我が国である。大日本帝国が引き起こした戦争を描かれるとそれを「反日」と決めつけ、デマを拡散して攻撃する。そんなバカなことに血道をあげている国は少ないだろうに。
最近では自民党や日本政府まで「歴史戦」とやらに参加しているようだが、無意味なことに力を使っているというしかない。日本の誇りを守るどころか、日本の誇りを著しく傷つけている。