奴隷制について -2-パードレたちの怒り
当地方に来るポルトガル人は皆真理を忘却す。そは1に売買の欲のため、2には女奴隷の故なり・・・
(『16世紀日欧交通史の研究』 岡本良知、p731)
この場合、真理とはキリスト教の教えのことであり、重要な教えとして「淫行の禁止」が含まれている。
戦乱の世の中ではすでに述べたように、”乱取り”と呼ばれる人身狩りが盛んになされた。http://blogs.yahoo.co.jp/kurodakango/13593738.html 岡本良知は、その様子を「日本における当時の社会状況は、貧民子女の誘拐売却を盛行せしめたから、ポルトガル人にとっては日本は支那とともに容易に妾を贖い得る国であったに違いない。」(『16世紀日欧交通史の研究』 岡本良知、p709)としている。
ポルトガル商人たちは、売られてきた女性を買うと妾とし、性の道徳が厳しい本国ではとてもできないような淫行にふけっていた。これに対して日本に来たパードレたちの怒りは激しく、その報告は1571年にはポルトガル王ドン・セバスチャンに、日本人奴隷取引禁止の勅令を発布させている。しかし本国を離れ、遠い異国においてはこの勅令も無視される運命にあった。
一方、パードレたちには不運な事に、秀吉は奴隷売買の責任を宣教師たちに着せようとしていた。この心の歪んだ王が、奴隷売買を心底憎んだ証拠はない。奴隷売買はただの言いがかりに過ぎなかったであろう。奴隷売買を行う商人たちを止めようとはせず、その代わりに、禁教令を発したのである。