ベトナム戦争のお話し


さすがハンギョレ偏ってるわ

1999年5月6日の『ハンギョレ21』256号がはじめて虐殺話を出したが、それは「ベトナム政治局から出された資料」を元にしていた。ピースボートの旅行の資料を読んでみたが、独自検証した様子がまるでない。
ベトナムは「国境なき記者団による報道の自由度ランク」では、報道の自由度が非常に低い国であり、2015年度版で175位である。http://ecodb.net/ranking/pfi.html ベトナム政府から出てくる情報の多くが、操作されている情報であると言えるだろう。
そして証人を何人か用意するぐらいはたやすい。
さらに碑を造るのもさらに容易いのである。

またベトナム政府は米国との交渉で、ベトナム戦争の被害を持ち出すと、まったく反論して来ないことを体験していた。小国であり、特に優良産業もないベトナムにとってそれは外交交渉を有利にする材料なのである。

ただし外交の場では韓国政府に直接言っていない。言えば事実関係をめぐって闘いとなるだろう。韓国の元軍人たちも黙っていまい。あくまで民間に拡がり、韓国政府にプレッシャーをかける方針なのだろう。大きなことは望んでいない。少しだけ得をしたいのである。
それは畢竟、現在の体制・・・共産党による一党独裁体制を存続させるためである。

ベトナム戦争は、民主と共産、自由と全体主義の世界をかけた戦いの一部だった。
共産主義体制のほとんど全ての国で、言論の自由が封殺され、住民の大量虐殺がなされた。ソ連では3千万人から5千万人が、中国では約3千万人が、カンボジアでは住民の4分の1に当たる約200万人が殺害されたという。
その数は第二次世界大戦の死者の数をはるかに上回るのだ。
70年安保の頃、浅間山荘に閉じこもった過激派学生たちが、粛清の殺人をしていたのを私はテレビで知った。私は疑問に思った。”彼らはこうすれば理想の国を造れると理屈をいうが、あんな少人数でも殺し合うとしたら、それは嘘にちがいない”と。

我々が暮らすこの自由世界も大きな歪みを秘めている。だが、共産国で引き起こされる歪みははるかに大きいのだ。私はソルゼニーツィンを読んだ。鉄のカーテンの向こうでは、あらゆる自由が抑圧されていることを感じて身震いした。そこでは昔の日本の特高憲兵に似たKGBがわずかな反抗分子や反抗分子とみなされた人を収容所に放り込むのだ。言論の自由や信教の自由というおそらく人間にとってもっとも重要な心の自由が大きく抑圧され、平等を唱えながら、独裁体制が造られ、マルクスが毛嫌いした東洋専制君主よりもはるかに邪悪な君臨がなされていた。

70年代、北朝鮮強制収容所の話や統一したベトナム思想改造キャンプの話ももれ伝わって来ていた。やがて中国やベトナムは経済的には開放政策をとり始め、部分的にマルクスを捨てた。1990年ころ。ソ連と衛星国の崩壊は、私にとっては大きな喜びだった。
そして別種の闘いが始まった。日本に右傾化の波が押し寄せてきていたからだ。歴史を書き変えようという勢力が台頭しはじめていた。

戦争はもとより悲惨である。
その中で多くの民間人も巻き添えを食ったのは確かである。
それでどうして北ベトナムが行った虐殺を看過するのだろうか?
北ベトナム軍は国境である非武装地帯を越えて侵入し、テト攻撃の際には数千人の南の民間人を虐殺したのだ。さらに共産側が多用したB10砲兵ロケット砲は、非誘導弾であったため命中精度は低く、都市部へ撃ち込まれた場合が多くの市民を殺傷している。

共産主義勢力およびに容共主義勢力は、そんなことは認めたくないだろう。北朝鮮はいまだに「朝鮮戦争は南側から攻めて来た」とか「米国の侵略戦争」なんて言ってるし。日本のベ平連残存勢力は、基本反米主義者だし。

このベトナム戦争の話は「ライダイハン」を含めて、日本のウヨクさんに有効利用されている。ベトナム政府の思惑と韓国の売国左翼と日本の亡国ウヨクが手に手をとって広めているベトナムでの韓国軍の蛮行。まあ、まったくなかったとは言えないが、小さなものを大きく、大きく見せようとするのが、彼らの手法なのである。