ベトナム戦争のお話し
さすがハンギョレ偏ってるわ
そして証人を何人か用意するぐらいはたやすい。
さらに碑を造るのもさらに容易いのである。
ただし外交の場では韓国政府に直接言っていない。言えば事実関係をめぐって闘いとなるだろう。韓国の元軍人たちも黙っていまい。あくまで民間に拡がり、韓国政府にプレッシャーをかける方針なのだろう。大きなことは望んでいない。少しだけ得をしたいのである。
その数は第二次世界大戦の死者の数をはるかに上回るのだ。
70年安保の頃、浅間山荘に閉じこもった過激派学生たちが、粛清の殺人をしていたのを私はテレビで知った。私は疑問に思った。”彼らはこうすれば理想の国を造れると理屈をいうが、あんな少人数でも殺し合うとしたら、それは嘘にちがいない”と。
70年代、北朝鮮の強制収容所の話や統一したベトナムの思想改造キャンプの話ももれ伝わって来ていた。やがて中国やベトナムは経済的には開放政策をとり始め、部分的にマルクスを捨てた。1990年ころ。ソ連と衛星国の崩壊は、私にとっては大きな喜びだった。
そして別種の闘いが始まった。日本に右傾化の波が押し寄せてきていたからだ。歴史を書き変えようという勢力が台頭しはじめていた。
戦争はもとより悲惨である。
その中で多くの民間人も巻き添えを食ったのは確かである。
それでどうして北ベトナムが行った虐殺を看過するのだろうか?