06年の「愛国」教育法と公明党




安倍は2012年の選挙の時に「日本の伝統と文化を尊重し、愛国心を鼓吹するようにした改正教育基本法の精神を、民主党政権がきちんと反映できずにいる」と不満をぶつけていた。
これは0612月に安倍政権によって改悪された06教育基本法の事だ。
083月に文科省が改訂告示した新学習指導要領(指導要領)に準拠して編集されたはじめての教科書が2010年には登場した。
 
06年の改悪教育基本法は、国家のための教育を基本理念とし、教育の目標として、道徳心愛国心・奉仕の精神・公共の精神・伝統文化など20もの徳目を、国家が法律で定めて子どもに押しつけようとするものだ。新指導要領はそれを具体化したものであり、文科省は、指導要領改訂と同時に検定制度を改悪し、教科に関係なく、道徳や愛国心などをすべての教科書に盛り込むことを強制している。現在の教科書は、こうした検定によってつくられたものなのだ。

与党の一角である公明党はこの「愛国心」の盛り込みには反対していた。それは戦前の「愛国心」に近い内容である事を知っていたからだ。彼らの祖師である牧口常三郎はその愛国心」が強調された国家の中で、投獄され、悲惨な拷問の末、獄中死を迎えたのである。彼らはそれを知っている。

しかし、公明党は2004年6月には、「自分の文化、郷土、国を愛することができない人間に、他の国家、民族を愛する心は生まれないのは事実」と
方針を変えて自民党案に賛同した。

こうした譲歩は、特定秘密法や安保法制の時にも見られた。
一応は反対して見せるが、それは学会員向け、あるいは世間へのパフォーマンスでしかない。
一度、苦い顔をして見せるが、やがて賛同に回る。
学会員に対しては、内部説明会で詭弁性の強い説明をして回るというわけだ。


さて、安倍たちのいう愛国心とは何だろう?
それは、①戦前の国家主義 ②神道に基づく伝統主義のことである。

神道に基づく伝統とはズバリ「神権天皇制」の事だ。

戦前日本には、「国体」があった。それは吉田松陰の思想から生まれたものであり、その弟子であった伊藤博文が「国体」を盛り込んだ大日本帝国憲法を造ったのである。彼が書いた憲法義解』という注釈書には「我が固有の国体は憲法によってますます鞏固なること」を謳っている。http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kenpou_gikai.htmつまり大日本帝国憲法が理想・理念としたのは「日本固有の国体を強調」し(『講孟余話』)、アジア侵略を唱えた(『幽囚録』)吉田松蔭たちの思想であったといえる。

やがて昭和の初めころ、国内の反「国体」勢力である新興宗教信徒や共産主義者治安維持法によって弾圧し、さらに神道主義である「国体」に反する合理的学者の学説をもことごとく排除した帝国陸海軍と右翼団体らの勢力はこの「国体」を高く掲げたのである。

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世界大百科事典内の国体明徴解説

成長する日本資本主義の市場拡大を軍事侵出によって果たそうとする政府・軍部などにとって,大正デモクラシー下での社会主義自由主義思想の台頭とその学生・知識人・労働者層への浸透は,許しがたい国内的不安要因とされた。35年帝国議会貴族院において美濃部達吉天皇機関説が問題化され,〈国体明徴〉が帝国議会貴衆両院で決議された(国体明徴問題)。従来,憲法解釈上で正統理論とされていた美濃部学説を批判されて政府は,当初狼狽したが,これを思想統制の好機と判断し,内務省は美濃部の憲法研究書を発禁処分にするとともに,2次にわたって〈国体明徴〉声明を発表し,みずから〈教学刷新〉を推進することとした。
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国体明徴声明全文

恭しく惟みるに、我が國體は天孫降臨の際下し賜へる御神勅に依り昭示せらるる所にして、萬世一系の天皇國を統治し給ひ、寶祚の隆は天地と倶に窮なし。されば憲法發布の御上諭に『國家統治ノ大權ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ傳フル所ナリ』と宣ひ、憲法第一條には『大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス』と明示し給ふ。即ち大日本帝國統治の大權は儼として天皇に存すること明かなり。若し夫れ統治權が天皇に存せずして天皇は之を行使する爲の機關なりと爲すが如きは、是れ全く萬邦無比なる我が國體の本義を愆るものなり。近時憲法學説を繞り國體の本義に關聯して兎角の論議を見るに至れるは寔に遺憾に堪へず。政府は愈々國體の明徴に力を效し、其の精華を發揚せんことを期す。乃 ち茲に意の在る所を述べて廣く各方面の協力を希望す。
— 「国体明徴に関する政府声明」1935年8月3日 (第1次国体明徴声明)

そして特高警察と憲兵隊は、この「国体」に反する思想、考え方をことごとく弾圧して行った。こうした中で日本のキリスト教徒も多くが、「国体」思想の信奉者となり、一部の信仰の良心に忠実な人々も、押し黙り、あるいは静かに転向して行った。賀川豊彦も押し黙ったのである。

愛国心」・・・私の好きな言葉である。
ただしその「愛国心」という言葉が「神道国家主義」を意味する限り、決して賛同する事は有り得ない。
「日本の伝統を守る」とか「国を愛する」とか言えば聞こえがいい。
しかし、こうした耳触りのよい言葉に騙されてはならない。騙されてしまえば、同じ轍を踏むだろう。
安倍たちは根っからの嘘つきである。あらゆるところで彼等は嘘を述べている。それはもはや歴然であると言えるだろう。