2014.10.18
ネオナチ、在特会、統一教会……。安倍内閣の閣僚とカルト極右団体の関係が次々に明らかになっているが、実はこの内閣にはもっと強大で危険な極右団体がバックについている。
と聞いて、「
神社本庁って神社の団体でしょ。最近、神社はパワースポットとして
若い女性からも人気だし、どこが危険なの?」と疑問に思った読者もいるかもしれない。たしかに、
神社本庁は全国約8万社の神社が加盟する組織で、その目的は「祭祀の振興と神社の興隆、日本の伝統と文化を守り伝えること」とされている。
だが、その本当の目的を知ったら、「癒される〜」などといっていられなくなるはずだ。たとえば、
神社本庁の
政治団体「
神道政治連盟」のHPをのぞくと、こんな主張や活動内容がでてくる。
もちろんこれくらいは、保守的な宗教団体の主張としては珍しくない。しかし、
神社本庁の機関紙「
神社新報」を見ていると、もっととんでもない主張がしばしば登場する。それは「
祭政一致」だ。
祭政一致とは、
神道の祭り主である
天皇が親政も行ない、国政上、政府はそれを輔弼する(進言する)役割にとどめるという、
大日本帝国憲法で明文化されていたものだが、
神社本庁はそれを復活すべきだというのである。
「そこで重要となるのが
統治権の総攬者としての
天皇の地位恢復。つまり、祭り主としての
天皇陛下が国家統治者として仁政をおこなうとともに皇室祭祀を継承することで、表の政治機能と裏のお祭りが一体となって国が治まる。政治には党利党略や権謀術数がつきものだが、それを祭りの精神で正しい方向に導かなければならない。陛下にはそのお導きのお働きがある」
「陛下がご質問をされるだけで総理や大臣、
政治家などに反省を促すことができる。政治家が陛下のお気持ちを重んじ、国民のために何がよいか党利党略を超えたところで考えるようにしなければならない。陛下は何が国民にとってよいか、あるいは皇祖皇宗がどういうことを期待しているのか、祭祀の中で神々と接して悟っていかれる。それが政治に反映され、党利党略や謀略に走りがちな政治を清らかなものに正していくという働きを陛下にしていただかないと真の精神
復興はできない」
祭り主としての
天皇が政治における決定権を握る
絶対君主制の復活……。この時代に信じがたい主張だが、「
神社新報」はこれにともない、新
憲法では軍の「
統帥権」を
天皇に帰属させるべきだという主張もたびたび行っている。
そこには、
祭政一致国家が突き進んだ太平洋戦争で、日本人だけでも330万人が犠牲になった反省はまったく感じられない。しかし、田尾首席
政策委員は先の記事でこうした批判も次のように一蹴している。
「(こうした地位恢復は)
皇室に対して却って迷惑ではないか、
天皇が政治的に利用されるのではないか、軍部が台頭した戦前の失敗が繰返されるのではないか、などの危惧があるようだが、この考えこそ現
憲法を作った占領軍の発想そのものであり、敵国の思想に基づく戦後教育の影響下で
改憲を考えているということに過ぎない」
こうしてみると、
神社本庁の主張はほとんど右翼
民族派のそれとかわりがない。いや、それ以上の極右ということがよくわかるだろう。しかし、それも当然だ。そもそも
神社本庁という組織自体が
祭政一致と対をなす「
国家神道」復活を目的に作られた団体だからだ。
国家神道というのは、いうまでもなく、日本の近代化にともなって推し進められた
神道国教化政策のことだ。
天皇にいっさいの価値をおくことで近代国家の統合をはかろうとした明治政府は、
神道をその支配
イデオロギーとして打ち出す。そして、そのために神社を国家管理の下におき、地域に根付いて多様なかたちをとっていた神社を
伊勢神宮を頂点に序列化。民間の神社信仰を
皇室神道に強引に結びつけ、
天皇崇拝の国教に再編成していった。
この
国家神道から、国民には
天皇への絶対的な忠誠が強要され、日本だけが他の国にはない神聖な国のあり方をもっているという「国体」という観念が生まれた。そして国体は八紘
一宇という思想に発展し、
侵略戦争を正当化していった。つまり、
国家神道は「現人神」の
天皇の下、
軍国主義、
国家主義と結びついて、
第二次世界大戦へと突き進む思想的支柱だったのである。
しかし、1945年、太平洋戦争で日本が敗戦すると、
GHQは信教の自由の確立を要求。
神道指令を発布し、国家と
神社神道の完全な分離を命じた。
神道を民間の一
宗教法人として存続させることは認めたもののの、徹底した
政教分離によって、
国家神道を廃止させようとした。
そこで、神社関係者が1947年に設立したのが
宗教法人
神社本庁だった。その目的は明らかに、国体と
国家神道思想の温存にあった。宗教学の権威・村上重良はその著書『
国家神道』(
岩波新書)でこう書いている。
「
神社本庁は、庁規に『神宮ハ神社ノ本宗トシ本庁之ヲ輔翼ス』(第六十一条)とかかげ、
伊勢神宮を中心に、全神社が結集するという基本構想に立って設立された。これは、
国家神道の延長線上で、
神社神道を宗教として存続させようとするものであった」
「
神社本庁の設立によって、
国家神道時代の
天皇中心の国体と神社の中央集権的編成は、形を変えただけで基本的存続することになった。」
「しかも、反動勢力と結ぶ
神社本庁の指導者層は、民主主義を敵視して時代錯誤の
国家神道復活を呼びかけ、この主張を、傘下の七万八千余の神社に上から押しつけることによって、
神社神道が、みずからの手で自己を変革する可能性を封殺しているのである。」
もっとも、こうした時代錯誤の狂信的な思想も一宗教団体が掲げているだけなら、それをとやかくいうつもりはない。だが、この思想は確実に
自民党の国会議員を動かし、現実の
政策に着々と反映されてきているのだ。
2000年には
森喜朗首相(当時)が「日本は
天皇を中心としている
神の国」という「
神の国」発言で物議をかもしたことがあったが、この発言は
神道政治連盟国議懇の設立三十周年記念祝賀会での挨拶だった。
今、我々が真に問題にすべきなのは、
在特会やネオナチといったそう大きな影響力のないカルト団体との関係ではなく、日本最大の信者数9125万人を誇り、社会的にも完全に認知されている
神社本庁と政権の一体化、そして、この宗教団体がもつ本質のほうではないか。
断っておくが、この団体がもっている思想は、日本古来の伝統や神社信仰とはまったく異なるものだ。むしろ、
神社本庁は
神道が古来より大切にしてきた信仰を踏みにじるような行為も平気でやっている。
次回の原稿ではそのことを検証してみたい。
(
エンジョウトオル)