天皇の臣下を自任する人間が天皇の臣下にしようとする憲法案を批判できるか?・・・菅野完氏の『日本会議の研究』



子供の頃の話だ。多分小学生の4年くらいだったと思うのだが、なんとなく暇をしていると母親がいつものようにご近所さんと井戸端会議をしていた。別に聞こうとも思っていないが、自然に耳に入って来るのだが、聞いていて驚いた。
彼女は昨日も、別の奥さまを相手に同じ話をしていた。それが翌日になると話に大きな尾ひれがついて、格別に面白い話になっているのである。それは持ち前のサービス精神で造り話が混入されているからだ。

そこで、奥さんが帰って、井戸端が解散すると、私は母親に聞いた。

「昨日の話じゃ●●だったのに、今日は○○になってたよ。」

母親は笑って

「そーお?」と言った。

その後、私は大人になる過程で、このモチーフを何度も頭の中で反復しながら、想いをめぐらした。もちろん、彼女のおひれの付いた話には、騙そうとか、お金を儲けようという邪気は無いわけだ。その善良さは私がよく知っていた。むしろサービス精神なのである。どちらかと言えば漫才をするような精神だと思う。笑わせたいのだ。しかし真実を語っているわけではない。さらに母親の話を信用した奥さんが、別のおひれをつけて話したら、どうなるのだろうか?もはや事実関係に関係ない話が拡がることになるのであろう。
そういう意味ではやはり罪深いと思う。
そしてこうも考えた。話を面白くするには、少しおひれをつけたりして、大げさに、あるいはドラマチックにすればいいが、それでは真実に見放されてしまう事になる。逆に言えば、世の中にある面白い話の中には、おひれがたくさんついたものがあるに違いない。もちろん、実際にドラマツルギーな現実もあるに違いないが。

さて最近、菅野完という人の書いた『日本会議の研究』という本が面白いと感想を述べる人がいる。

しかしこの本は、さきの井戸端会議の話と同じだろうと私は思った。面白いのは、小説のようなストーリーがあるからだ。面白い話には注意をしなければならない。それが子供の頃、私が得た教訓の一つである。
彼は物語りを紡いでいるのである。
だから、ただの事務方を主役として描くことになる。それは多分、作者がサービス精神を持っているからだろうが、それだけはない。もう少し変なものも入っているように思う。それは何というか、「英雄崇拝の心性」のようなものだ。
そうしたことは、近いうちに明らかにしたい。

それから、もう一つ。              
菅野氏はもとより右翼であり、自分のことを「草莽の臣」と呼ぶ人である。つまり、天皇の臣下なのである。



そりゃ、一般の人なら別にいい。皇室典範はどうあるべきだ、こうあるべきだ、とご議論なされればよろしい。しかし少なくとも我々民族派は、そういう立場ではないのだから、黙ってるしかないではないか。それが、日頃自分たちに課している、草莽の臣としての矜持ではないか。

 
右翼で「天皇の臣」を称する人が、<国民みんなを「天皇の臣」にしたがっている憲法案>を本当の意味で批判できるわけないと思う。ところが菅野氏は一応は批判するポーズをしている。そこがなかなか面倒くさいところだが、あくまで「一応は批判」なので、批判が的を大きく外れている。
 
たとえばこんな批判である。
 



僕が「日本会議は危ない極めて危険な集団だ」と言い続けるのはまさにこの山崎さんのような反応があるからです。ミソジニーとマチズモが「社会を蝕む病」とは思えない人=「女子供は黙ってろ」な人が、無自覚に、日本会議に加担してるから

 
 
つまり日本会議への批判の中心を「ミソジニーとマチズモ」にしているわけだ。24条問題である。それなりに重要には違い無いが、日本を戦前に戻したがっている人達の危険性をミソジニーとマチズモ」で捉えるというのはある種の歪曲ではなかろうか?



他のツイートも掲載しておこう。


今日は憲法記念日なのであちこちで憲法集会が行われるだろう。左側の集会で「9条で平和を守ろう」が出たり、右側の集会で「9条変えて軍備を!」が出たら、「ああこの団体はセンスないな」と思えばいい。今、政治の場でアクチュアルな議論になってるのは9条じゃない。24改正と緊急事態条項だ。
posted at 11:07:01
   

9条の呪縛」ではなく「9条の怠慢」と言うべきなのかもしれない。例えば、憲法記念日である今日の朝日の朝刊は「立憲主義」「平和」という言葉が並ぶ。しかしね、今の改憲勢力が押しているのは、24改正と緊急事態条項であり、問われているのは、「平和」ではなく「人権」そのものなのよ。
posted at 11:10:44
   

そりゃ、去年の安保法制の議論の高まりを見れば、「今、平和が問われています」って紋切り型の言葉を使いたいだろう。しかし、日本会議も安倍政権も9条なんか劣後させてる。その代わり24から「両性の合意のみ」「個人の尊厳」を削除し「家族」などを導入させることに血眼になってる。
posted at 11:13:09
   

左右両陣営の市民団体が、「政界にいるリアルな改憲勢力が今本当に真剣なのは9条ではなく24」という点を見落としているのは、むろん、24が「女子供の話」とバカにされているからだろうけども、何よりも、「憲法の話といえば9条の話」と思い込んでしまっているからではないか。
posted at 11:17:25
   

そこを一番よく理解しているのは、日本会議。彼らは「9条はモメる」「24に家族を入れるぐらいなら文句はでない」「個人の尊厳を24から削除するぐらい誰も大して気にしない」「あの条項変えたら改憲の実績作れる」と冷静に計算している。



今日は、日本会議憲法集会をする。彼らは9条「も」語るだろう。しかし、前面に出るのは、緊急事態条項と24条改正だ。 「震災から命を守るため緊急事態条項を!」「家族の価値を守るため24条改正を!」と、彼らは言うだろう。
posted at 11:21:19

僕が今一番恐れているのは、最近の八木秀次の発言とかを見ていると、彼らが「24条ってLGBT差別の根源。『両性の合意のみ』ってさ、おかしいでしょ。あの文言削ろう(で、その後の『個人の尊厳』も削ろうね)」と、さも「差別に反対する」かのような口調で、24条改正を主張すること。
posted at 11:29:27

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四十年前の生学連新聞。「唯物的人間観打倒!」「優生保護法打倒!」
 
。。。な、彼ら、こっちが優先なんだって。24条がホットイシューなの。 pic.twitter.com/zWIVDi84yB
posted at 11:36:12

これ。。。。別に批判してるわけじゃないけど、なんで憲法=9条の話になるんだろう。。。。 24条でしょう、その文脈で安倍政権の動向を注視するのなら。 twitter.com/yuric117/statu
posted at 15:45:25


さて、しばらくこの話題も考察してみようと思っている。