第2波フェミニズムとフリーセックス思潮(2)上野のフェミニズム理論





からのつづき


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例えば、お腹がすいて、何か食べたいと思ったとしよう。目の前に畑があり、美味しそうなスイカが実っている。食べたいと思ったが、自制心が働いて畑どろぼうをするのを止めた。

これは、「抑圧」ではない。
ただの「抑制」であり、神経症の原因などになりはしない。

「性」に関しても同様である。

お隣に引っ越してきた御夫婦の奥さんがとても好みで、ついムラムラした・・・というようなことがあっても、たいていの人は誘惑したりはしないだろう。自制するのだ。

自制したからと言って、それが神経症の原因などになったりはしないのである。

一時的な欲求不満は感じるだろうが、誰でも知っているように、欲求不満の波は、時間と共に消えていくものである。


ところが、この抑制を言葉を混同させながら病的なものとしたのが、フロイドである。フロイドは性欲を抑圧することが、神経症の原因になるというのだが、同時代のユングが述べたように、「フロイドは抑制と抑圧を混同している」のである。

少なくとも心理学でいう「容認しがたい観念や記憶を意識から追出し,無意識領域のなかに閉じ込めようとする」行為だとは言えないのだ。

この「抑圧」と「抑制」の混同は、「性革命」の創始者であるライヒなどのネオフロイド派心理学者、そしてフェミニストにも引き継がれている。

ライヒの考えでは、性器を使う性欲の自由な実践を妨げる事自体が「抑圧」であり、モートン・ハントは「性の解放とは(多様な性行為に対する)抑圧意識からの解放である」と述べている(アメリカ性革命報告』p92)。ケイト・ミレットに至ると「性的抑圧を解放する」のは女性の役割と言う事になる(前述アメリカ性革命報告』p186)。




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上野千鶴子には、『家父長制と資本主義』いうフェミ理論を解説した著作がある。
この著作から、フロイドの位置を見てみよう。

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マルクスを「抑圧からの解放」と位置付け、フロイドを「抑圧への適応」と位置づけている。

この理解自体がクエスチョンマークの連続だが、フロイドの理論は「抑圧への適応」なので、ライヒやマルクーゼが理論の修正を行ったというのが、上野の理解である。



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フロイド理論の影響下にあったフェミニストたちは、ジュリエット・ミッチェルのように、フロイドをフェミニズムに適合させて行ったのだという。

フロイド理論から、どうやれば「近代産業社会に固有の女性差別の根源」を見つけることができるのか、は分からないが、とにかくそういうものを見つけたのだというのだ。そしてともあれ、フェミニズムがフロイドとネオフロイド派の流れから、生まれたことがここで理解しうるのである。

フロイドは、治療者であった。その精神分析は治療のために産まれたものだ。しかし、フロイドは生涯1人の患者も完治させることができなかった。そういう意味でその理論は欠陥品である。思いだせなかった過去を思い出したからと言って症状がなくなるわけでもないし、脅迫反復などに関しては日本の森田療法の方がはるかに実効がある。
効果があるのは、理論が正しいことを証明するのである。

フロイドがした催眠の実験は「無意識」の存在を明るみに出すためには有益だが、心に対する理解が間違っている。
その間違った理論をさらに大きく間違わせたのが、ネオフロイド派であり、そのネオフロイド派の「性革命」の影響を多分に受けて始まったのが、20世紀後半の第2波フェミニズムであった。