政治家に伊勢参拝させる内的な呪縛力




2003年の1月4日、小泉総理大臣(当時)が、伊勢を参拝した。TVも新聞も取り立てて問題視することもなく、議論さえならないまま通り過ぎて行く。

小泉の靖国参拝に対しては、その政教分離違反を批判していたはずの菅が、伊勢神宮参拝に関しては、黙りこくっているのはなぜか?

いや黙っているだけではない。
その2日前の2003年の1月4日、当時民主党代表だった菅直人もまた伊勢神宮を参拝していたのである。

マスコミに小さな記事が載っていた。まるでとるに足らない出来事のように。

なぜ、我が国の政治家たちは、かくも矛盾してしまうのか?
なぜ、首相の伊勢参拝は恒例化し、誰もそれを議論の俎上に挙げようとしないのか?
それは分からない。



2014年、1月6日、安倍が参拝
「神社の清々しい凛とした空気の中で身の引き締まる思いでした」なんて述べている。

2016年は、5日に参拝している。


伊勢神宮ーーかつて国家神道の中で、トップの社格を誇る本宗である。いや、今でも全国八万社の神社が本宗と仰いでいる。

戦争中は、全国民に神宮大麻が配られ、その崇拝が強制された。そして臣民たちには、「日本はアマテラスがいる神の国なので、必ず勝つ」と教えらえれていた。もちろん実際には悲惨な敗北が待っていた以上、「日本はアマテラスのおわす神国である」というのは、嘘である。
嘘なのだが、何か呪縛ような力が働いていて、政治家をそっちにひっぱっているのである。

それは、安倍の述べたような「清々しい」ものではなく、一個の罪であろう。