1979年05月25日 木村知己牧師の国会での話し




1979年05月25日  参議院 内閣委員会 - 10号


参考人  木村知己  (日本キリスト教団行人坂教会牧師)

 大変たくさんの問題で、重要なことでございますので、限られた時間では非常に困難かと思いますが、一つは、宗教弾圧のことにつきましては、これに関連するたくさんの本が出ておりますので、折がありましたらそれをお調べ、お読みいただきたいと思いますが、一つの例といたしましては、一番悲惨な例といたしましては大本教事件というのがございます。これは幾つも本が出ております。しかも、そのときの弾圧を直接こうむって留置場において本当に半死半生の生活をしました徳重高嶺という方が、そのときに自分が捕えられて弾圧された理由が、いわゆる拷問を受けた理由が初めはよくわからなかったけれども、だんだんと聞いてみたらば、それは天皇に類似した行為をしているからいかぬというだけのことであって、それによって本当に死に至るのではないかという恐怖感を感じたということを言っておられます。
 これに類したものといたしましては、ひとのみち事件というものも同じでございます。これは御木さんという方ですか、この方の場合も大体類似した、天皇にかかわるところのもの、類似するものだということがその弾圧の理由でございました。
 それから、今度は逆にキリスト教関係ではホーリネス教会というのがございます。このホーリネス教会という人たちは、当時の特高刑事から、天皇とおまえの神とどちらが偉いという、今日で言えば漫画みたいな質問を当時の特高刑事から本気になって問われた。私は、そのころ警察関係におられた議員の方もおられるはずだと思うので、警察関係の書類をお調べいただければ取り調べの内容がよくおわかりいただけると思うんでございます。そのときの、そういう一つの、天皇と信仰的な神とを、いわば次元の違うものを同じ次元の中で問うという、この事柄が私たちにとって非常に重大でございます。今度の元号問題もこれと同じような、宗教問題とこの世の生活の問題とを同じ次元に持ち込んで私たちに問われるような事柄が起きることを私たちは非常に危険と感じております。なお、宗教弾圧のことは国会図書館に幾らでもございますので、国会議員の方にぜひひとつ国会図書館でお調べいただきたいと思います。
 第二に、アジア地域におけるところの弾圧でございますが、これについての一番悲劇的なものは、今日の韓国、当時の朝鮮半島の朝鮮でございますが、ここにおいては、神社の参拝を強要されましたところの牧師たちが、神社の参拝を拒否いたしたところが、おまえたちは、天皇に対する忠誠を尽くさないということだけで、日本国民らしくない、彼らは初めから日本国民でないのに、それにもかかわらずおまえらは日本国民らしくないといって弾圧を受けたわけでございます。そのときに朝鮮の方たちが言いますのに、私は一昨年もうすでに五回ほど韓国の教会の方たちの打ち合わせ、交流のために参りましたが、そのたびごとに韓国の協会の牧師たちが、私たちはとんと日本人と思わないのに、警察からおまえらは日本人でないとしかられて、一体こっけいで仕方がなかったけれども、笑えばたたかれるから黙っていた、こういうふうなことが私たちの生活の半生でしたといって牧師たちから言われております。私たちは、日本の国がかつて犯した朝鮮、台湾、そして戦争中の東南アジアにおけるところの行為というものは、これは朝日新聞の本多さんという記者が「中国の日本軍」という本を書いておられますが、まさにあれを読んで自分の責任を問われない人、あるいはああした事実を知っていて黙っている人、私は、これはまさに戦争責任そのものを過去ではなくて現在に背負っているというふうに言えると思うんでございます。
 それから第三番目の、元号が強制されるということでございますが、私どもは、元号というものは先ほど申し上げましたように単なる年号の表示ではなくて、私たちにとっては一つの思想問題でございます。あるいは私たちにとっての信仰問題でございます。しかし、私たちは西暦とは申しておりません。私どもキリスト教会内においては、今日皆様方が使っていらっしゃるものを西暦というふうに申しておりません。これは主の年というふうに呼んでおります。西暦と通称されておりますものは、私たちが主の年としてキリスト教会で使っているものが便利なために一般社会が使っているのが西暦でございます。ですから、先ほど西暦を使うとキリスト教徒に信仰の自由が侵されるとおっしゃいましたけれども、私たちはちょっとその議論を聞いていて、どういう議論をなさっていらっしゃるんだろうか。私どもキリスト教徒は西暦というものは使っておりません。主の年というものを使っているんです。私たちが使っている主の年というものが大変便利であるという理由だけで社会一般が使って、それを西暦として使っていらっしゃるので、これを法律でもって強制したり拘束したりということはあり得ないことだと私は考えております。それで、先ほど小川参考人も言われましたように、かつて西暦というものがキリスト教暦として植民地でもってさんざんこれは侵略に用いられたわけでございます。上からの権力でもって時間、空間を制限するということがどんなに悲劇的なことかということを私たちは一番よく知っております。それだけに元号が法制化されるというのは矛盾でございます。それをおっしゃるなら、なおさら元号法制化をやめましょうとおっしゃるのが事の筋だと、私はこう考えております。
 最後に、元号を実際窓口でもって出して自由だというふうに政府が答弁されておりますが、今日は自由ではございません。法律ができる以前にすでに自由ではないんでございます。例を二つ挙げます。一つは、私自身の体験でございますから一番御理解いただけると思いますが、私は自動車の免許証の更新を前回、その前をいたしました。そのころの免許証はいまのようなプラスチックでできているものではなくて、書き込んでビニールの間にはさんで押されてつくるところのものでございます。私は品川の鮫津の試験場に参りまして、ちょうどそのときに海外に行くことがありましたのでインターナショナルライセンスをとりまして、あわせてそのところで私のライセンスの更新をいたしました。インターナショナルライセンスのところに私は西暦でもって書きまして、そのまま通りました。今度自分の国内で使うライセンスのところに西暦の誕生を書きましたところが、係官から突っ返されました、これはだめだ、昭和で書けと。私はそのときすぐインターナショナルライセンスを見せて、こちら側は西暦で書いてあるのに、なぜこれは通らないんですかと質問しましたところが、ここは日本だと言ってそれでおしまいでございました。それ以上、私はもうライセンスもらえませんと帰れませんですから、私はやむなく昭和に書きかえざるを得なくて、非常な私自身の拘束性を感じました。本来元号というものはそういうふうな拘束性を現に持っております。
 それから第二番目は、すでにこれは国会でも報告があったかと思いますが、私どもキリスト教徒のある人たちが数寄屋橋でもって元号反対のビラを配っておりましたところが、右翼の人たちに殴り込まれました。そのときに警察の方が被害届けを出せと言うものですから、築地警察署に行って被害届けを出しました。そして被害届けの場所、それから時間――ここを、すでに昭和という字が書いてありましたので、私どもの方の関係者はそれを西暦に直しましたところが、警察は受理してくれませんでした。そのときに、私たちの方の被害申請を出した者が、私たちは元号反対をやって被害を受けたんですから、元号を書いて申請するわけにいきませんと申しましたところが、警察はがんとして受け付けてくれませんでした。これが現実でございます。
 以上です。