『日本思想史新論』を読む



『日本思想史新論』という本を読んだ。作者は『TPP亡国論』を書いた京都大学の中野剛志氏である。日本思想史新論と言っても、日本に生まれた主要な思想を全て論じたものではなく、幕末の、水戸学や国学、それから伊藤仁斎荻生徂徠、会沢正志斉、福沢諭吉などに焦点を当てたものだ。中でももっとも中心的なのは会沢正志斉に関してである。福沢諭吉なども「正志斉の国体論とは基本的には違いない」(p200)としている。
正志斉については「先見の明、情報分析力、戦略性、論理性」を述べ「プラグマチズムに支えられたナショナリズム」という観点を示している。藤田東湖国学に決定的な影響を受けていたのに比べて、本居宣長に批判的な目を持っていたのは事実である(p149、p158)。さらに戦略的思考を持ちながら『新論』を書いたのも事実であろう。しかし中野剛志は正志斉の狂気については考えないようだ。いや正確に言えば、まわりの狂気を煽りたてる部分についての考察がなされていない。たとえば、「祭政一致」であり(p157)、たとえば「一元気論」(p160)だが、本居宣長の「古道(古代の神によって創始された道は永遠不滅だ)」を「紙上の空論」と批判しながら(p158)自らも「神州は太陽の出所、元気の集まるところにて・・・・」と述べている(『新論』上ー2)。これについて中野は、星山京子が述べた「非合理かつ狂信的思考」という指摘(星山京子『後期水戸学と近代』)を「はたしてそう言い切れるのか」としているが(p161)、その後の経過を見ても、本人の主張からも明らかである。正志斉は「日本は神州だ」と信じ「自国の優越」を信じていた(p162)のであり、その狂信を他人に伝道したのが『新論』だからだ。こうした水戸学の『新論』や正気歌(せいきのうた)』(藤田東湖)、国学復古神道の流れをくむ著作物を教科書に下級武士たちが、「国体」を信奉するようになり、より粗雑な考え方をする幕末の尊王攘夷論者は、反対者へのテロに走ったのである。いうなれば正志斉は、当時の日本を包んでいた狂気の中の一人にすぎないのだ。日本の儒教が「儒教」ではなく「儒学」で終わったのは、当然であった。儒教徒たちは、本来矛盾する神道を信奉していたからである。日本にはより高次の価値観の代わりに低次の価値観が蔓延していた。それは自然の事物を突飛だからという理由によって「神」として崇める心性である。儒教の示した高い価値観の代わりに、こうした英雄崇拝の心性が次の時代に蔓延することになる。
今日、神道の学校である森友学園にまつわる時代の狂気、この学校は正志斉らの「国体論」から生まれた「教育勅語」をまだ意味もわからない幼児に暗唱させ、それをまた安倍首相夫人が称賛したという話であり、翻ってみるならばあの時代の狂気は今日に決して無関係ではないのだと言えるであろう。