教育勅語とは?


以下、島園進 国家神道と日本人』 より抜粋

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教育勅語」が、前後の神道思想による天皇への崇敬、忠を強調した部分といくつかの儒教的道徳によって成り立っていることは、誰の目にも明らかである。しかし、これをもって教育勅語は、神道儒教のミックスしたものである」と述べるのは、過度の単純化でしかない。前後の天皇への崇敬、忠を強調した部分と道徳を述べた部分のどちらが中心的な主張なのか?と言えば、それはいうまでもなく道徳ではなく「天皇への崇敬、忠」の部分である。
そこをまず間違えてはいけない。
大日本帝国では親、兄弟、盟友、夫婦と仲違いし、各道徳を守らなかったからと言って、刑法によって裁かれることはないが、天皇への崇敬、忠を否定し、守らなければ非難を浴びただけではなく、そのような言動自体が「不敬罪」に相当する罪とされたのである。つまり国家が個人の心を規定、支配し、尊敬すべき対象を決定していたのである。
これが嵩じて行くのが、31年の満州事変に始まる15年間の戦争中であり、特高キリスト教徒を尋問する際、「イエス天皇のどちらが偉いか?」というような質問をしたのである。「イエス」と答えようものなら陰惨な拷問が待っていた。つまり尊敬するものは天皇でなければならないと彼らは思っていたのだ。
それは結局、欽定憲法教育勅語の思想が国家に蔓延した結果であったと言えるのである。