『進撃の巨人』の壁



昔、ルドンという19世紀の画家に興味をもった。絵もおもしろいのだが、彼の初期の作品は異常に暗いのだ。愛なき少年時代をすごした絶望が絵に表れていた。ところが青年期に一人の女性と出会い愛し合うようになると一気に作風が変わる。明るい色調が多くなるのである。

進撃の巨人』というアニメを何回かみた。暗い世界である。人の内面に宿る悪魔性の具現化したような巨人が現れる。彼らは”人い”なのだ。
そして人類を滅亡へと追いやるという作品である。
ベルセルク』や『寄生獣』に通じるが、どちらかと言えば『ベルセルク』のような絶望だろうか?
結局は予定調和に終わるにしても、永井豪の『デビルマン』や『バイオレンスジャック』を元祖とする内面の悪霊の具現化である。
作品には、人類の5倍から30倍もあるような巨人が人を喰う様が描かれる。踊り食いのように口に放り込み、人のみにしたり、時には歯で喰いちぎる様子には奇妙なリアルさがある。人類と巨人の間には巨大な壁があるが、その壁はしばしば破壊されてしまう。
そして、登場人物の想起や発言にはしばしば「この世界は残酷である」「弱肉強食である」という言葉が発っせられる。作者の絶望を感じさせる。彼にとっての”巨人”は何だったのか?

それは世界の残酷さに対する呪詛のようにも思う。ダービンやマルクスが呪った弱肉強食の宇宙に対する憎しみである。あるいは”反知性主義”に蹂躙される現代の日本だろうか?巨人は知性や理性から見放されている存在なのだ。マンガでこの作品がどうなっているのか、知らない。この手の作品は内容が救いようのないほど、最終的には予定調和に向かいやすいから多分最後はそうなるのだろう。絶望を絶望のままで終わらせると暗すぎるからだ。バランス機能が働くのかもしれないし、読者が、いや作家自身が自分の想像力の中から生まれる怪物に深刻なダメージを受けてしまうのを防ごうとするのかもしれない。救いの無い物語を描くのは大変なエネルギーが必要なのだ。だから救いの道を用意するのである。こうして心の防御壁を造るのだ。