アフリカの天皇制

                 ベニンの王
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歴史学の父 ヘロドトスの『歴史』には、紀元前のギリシャ周辺地方をヘラクレスの子孫が統治していた様子をこう書いている。

カンダウレスという人物はギリシャではミュルシロスの名で呼ばれているが、ヘラクレスの子アルカイオスの後裔でサルディスの独裁者であった。

    (『世界の名著5ヘロドトスp70)

ヘラクレスは言うまでもなく、ギリシャ神話上の人物である。ゼウスアルクメーネーの子であり、ペルセウスの孫である。ヒュドラーとの戦いなど数々の英雄譚で知られ、後にオリンポスの神々に列席した。その子孫を名乗る家系が一つの地方を統治し、独裁者だったわけだ。

         太陽の神の世界

古代世界において、国を支配していたのはたいていはその神々の子孫であった。エジプトのファラオは、オリシスの子孫であり太陽神ラーの子でもあった。毎日昇る太陽は、身体を温め、作物を育てる力を持っている。自分を太陽の神の子とする事は、毎日昇る太陽が自分のおかげであることを示している。そこで疑うことを知らない人々は本来太陽へむけられるべき感謝と賛美を王に向ける。人々はひざまずき、王を仰ぐ。太陽神の子であることは、王を権威つけるもっとも単純な手段である。アステカの太陽神は、捕虜の生きた心臓を求めた。そこで支配階級である神官は、兵士に近隣諸部族からの略取を命ずる。兵は村々を襲い、哀れな犠牲者は心臓を捧げさせられるのである。こうした残虐な儀式があるから、太陽が昇るのだと信じられていた。コルテスが征服し、神官が滅んだ時、人々はその儀式がなくても太陽が昇ることに驚いたという。

神々の子が治める世界はたいていの場合、道徳律が破壊されている。なぜなら、神の子として権威をもつ王は、臣民に何でも要求できるからだ。娘を差し出せと言えば、光栄しごくとして娘を神に仕える斉女として捧げる。こうしてファラオの神殿に神聖娼婦が生まれる。また人々は太陽の神に、あるいは雨の神に、食物の神に作物を捧げなければならない。そうしないと何事か悪しき事が起こると信じられていたからである。
そんな世界にやがて人の生きる道を唱える高等宗教が生まれる。釈迦は火を捧げるバラモンを否定し「知恵のあるものがバラモンだ」と述べ、悪を退け善をなすことを教えた。ソクラテスは神々を冒とくしたとして毒杯をあおった。中東ではその頃、旧約聖書が成立し、預言者たちはやがてきたる審きの日の幻をみた。

神々に心臓を捧げる必要などどこにもない。作物を捧げる必要もない。神聖な王に娘を差し出す必要もない。なぜならそれは全て嘘だからだ。何も捧げなくても太陽は運行するからである。