明治維新のころ、人々は「神道は正宗、基督教は邪宗」と信じていた。だから浦上キリシタン弾圧なんてなされたのだ




これは明治維新直後の文書である。
長崎県から弁官にあてた公文書であり、キリスト教徒を「邪宗の信徒」と呼び、神道を「正宗」と述べている。

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(千田稔 伊勢神宮ー東アジアのアマテラス』 p140~p141 より抜粋)

時期的には明治元年、長崎浦上キリシタン弾圧事件(浦上崩れ)(御前会議で一村総流罪を決定した)の後の話である。

神祀崇拝こそ「邪宗」であるにもかかわらず、価値観がまったく逆になっている。

また、神祀崇拝者が「基督教を邪宗」としており、神祀崇拝者による迫害と言えるだろう。

神道は寛大だ」とか「日本人は宗教に寛大だ」「宗教迫害なんて無かった」とかいうバカがいるので、これを書いている。