神道の「神」は、人のご都合によって創られるという話
ネットの中では、麻生 太郎の
「靖国に「ないもの」と「あるもの」を考えることで、理解することができます。靖国には、遺灰とか遺骨といった、物理的な何かはありません。あるのは御霊という、スピリチュアルな、抽象的なものです。いやもっと言うと、そういうものが靖国にあるのだと思ってずっと生きてきた、日本人の「集合的記憶」です。(オフィシャルブログ http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html)
まあ、ろくに漢字も読めない政治家に、正しい歴史知識を求めるのは酷かも知れないが。
③ 菊池一族 明治3年 菊池神社
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一方で、天皇の先祖(とみなされた人たち)も「神」として祀りはじめる。
たのがこの橿原神宮であった)
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かくして「神」は造られて行く。
その背景にあり、意識されない思想というより風習は、「人が祀れば「神」」というアニミズムの世界なのだ。