神道の「神」は、人のご都合によって創られるという話



ネットの中では、麻生 太郎の

靖国に「ないもの」と「あるもの」を考えることで、理解することができます。靖国には、遺灰とか遺骨といった、物理的な何かはありません。あるのは御霊という、スピリチュアルな、抽象的なものです。いやもっと言うと、そういうものが靖国にあるのだと思ってずっと生きてきた、日本人の「集合的記憶」です。  
 (オフィシャルブログ http://www.aso-taro.jp/lecture/talk/060808.html

という主張に批判もあるようだ。現在(2018年)までわずか150年程度の歴史しかない靖国神社を「日本人の「集合的記憶」」呼ばわりというのは確かに失笑ものである。
まあ、ろくに漢字も読めない政治家に、正しい歴史知識を求めるのは酷かも知れないが。

さて今回は、靖国以外の明治維新後に「神」とされた人々の話である。

① 楠木正成 明治5年 湊川神社

② 護良親王 明治2年 鎌倉宮

③ 菊池一族 明治3年  菊池神社

④ 宗良親王  明治3年 井伊谷宮


⑥ 懐良親王  明治14年 八代

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これらは建武中興十五社」として明治維新後に創建された神社である。明治5年、神社は国家の宗祀と宣せられ、これらは全て「別格官幣社」または「官幣中社となっている。

要するに維新の志士たちの尊王思想の源の一つである水戸学の『大日本史』や頼山陽の『日本外史』の記述に基ずいて、南朝側の死者を「神」としたのである。

別格官幣社」という言葉は、天皇の一族ではないが、「神」として祀るということで、靖国もこれである。皇子の場合は官幣中社」と言う。

一方で、天皇の先祖(とみなされた人たち)も「神」として祀りはじめる。


   *(日本会議の事務局組織である日本青年協議会が発足式をし
      たのがこの橿原神宮であった)

② 桓武天皇  明治27年 平安神宮

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天皇を祀るこうした神社を「官幣大社」と言う。

こうして明治国家は、国学や水戸学の『天皇を「神の子孫」あるいは「神」とする思想』によって造られていく事になる。
天皇は「神」であり、その天皇の側にいて戦死した人も「神」・・・という思想である。

かくして「神」は造られて行く。
その背景にあり、意識されない思想というより風習は、「人が祀れば「神」」というアニミズムの世界なのだ。