横井小楠の息子もキリスト教徒になっていた


篤実な儒教徒として徳が満ち、当時の人の中では比較的正しい心に到達し、維新をいくぶん正しい道へと導いた横井小楠(しょうなん、1809-1869)。龍馬の「大政奉還」や「議会制」への志向は、この横井小楠に種受けしたものだとも言う。その小楠も龍馬が暗殺された2年後には暗殺された。殺害の理由は「横井が開国を進めて日本キリスト教化しようとしている」といった事実無根なものであったという。

小楠キリスト教徒ではなかったのだが、この小楠には息子がいて、横井時雄というのだが、この人はキリスト教徒として活躍した。小楠が殺されて数年後、時雄は同志社に行き、キリスト教徒になった。

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                      (キリスト教人名辞典』

すでにこのブログに書いたように、龍馬の血縁者、友人、暗殺者に至るまで、不思議なくらいキリスト教徒になっている。

龍馬の家督を継いだ坂本直。
その弟の自由民権3論客の一人坂本直寛。
従弟の山本琢磨。
龍馬を斬った見回り組の今井伸郎
そして横井時雄も加わるわけだ。

この濃厚さはどうだろう?
まだキリスト教徒なんて、ろくにいない時代に、龍馬の周りにはまるで磁力でも貼られているように濃厚にキリスト教の雰囲気が漂う。
龍馬自身はキリスト教徒でも何でもなかったにもかかわらず。

もちろん、唯物論者にとっては「ただの偶然」なのだろうが、少なくとも「意味ある偶然」と言えるだろう。