韓国タレントの自殺に見え、隠れした儒教道徳の志向性

 ひところ韓国人タレントの「性接待」を苦にしての自殺があった。
何かで「日本より20年も遅れている韓国芸能界」と言う見出しの記事を読んだのだが、フーンてなもんでそのまま忘れてしまっていた。けれども最近『韓国は一個の哲学である』(小倉紀蔵著)と言う本を読んで、もう一度考え直してみた。
 
日本の芸能界で、もし「性接待」のようなものがあったとしても、多分それだけで自殺する女性タレントはいないだろう。むしろ自分がはいあがるために必要なのだと思って権力を持つ男と寝る事に抵抗は少ないと思う。某女性タレントは芸能界の秘密売春クラブについてリークしたが、単なるゴシップに終わってしまい「真相」は闇の中である。しかしそれくらいはありそうだ。
 
それは今日、日本人が性に関しての道徳を持っていないからである。
貞操を守れ」とか「童貞・処女性を大切にしろ」「セックスは配偶者とだけすべきだ」だとか言われて我々は育っていない。だから娘達はさっさと"体験”するし、少女売春なんてものまで顕われるし、結婚した後も「不倫は文化である」などとうそぶいている。
そんな風土の中では「セックスを売ること」もたいした事ではないのだろう。
 
しかし小倉氏によれば、「日本がかって通過したよりも、はるかに深い儒教道徳の国である韓国」では性の問題は日本よりもはるかに深刻な問題となり易いのである。
儒教の根の張り方が違うのだと言う。
韓国が道徳的な国家であるとは、必ずしも言えないが、〔道徳志向国家〕であると言う。
 
その風土の中では芸能界のパワハラによる性接待も、時には死を持って訴えなければならないほど深刻な問題なのである。
 
いずれ、このテーマは「慰安婦問題」も含めてもう少し詳しく論じよう。