カレンの伝説

タイとミャンマーにまたがりカレン族が住んでいる。
 
カレン人は日本人とよく似たわらじや下駄で知られており、さらに『倭人伝』に記録されている貫頭衣を現代まで着ている事でも知られている。
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は3世紀当時の日本人のスタイルについて詳しく記録しており、「婦人は中国の単被のようで中央に穴を開けたものを、頭を貫いて衣(き)ている」と述べている。カレン人は今でもそのままの服装である。
その他、竹と板とを組み合わせた簡単な機織(はたおり)、楔(くさび)で張った太鼓、小魚を掬(すく)う三角竹網(さんかくたけあみ)、装身具などにもカレン人には古代の日本と似た文化が多いのである。
 
 
 

さらにタイには日本の鳥居の原型と思われるものが存在している。鳥居はその形式に多少の違いはあるが、北の満州族から西はプータン、インドまで広く分布している。タイのアカ族のものは、素朴な形式の上に木製の鳥の像が乗せられている。同じ木の鳥は大阪の池上遺跡からも出ている。日本の鳥居やインド、サーンチーの三段鳥居の源流ではないかと思われている。
 
 
 
弥生文化水稲と共にやって来たが、その日本米(ジャポニカ種)の故郷と目されているのがタイからミャンマーにかけての山地である。そこでは細長いタイ米(インディカ種)ではなく丸々としたジャポニカが作られている。
マレー語で水田を「サワ」と言うが、日本でも水田に適する湿地帯をサワと呼ぶのは語源が同じなのではないか

 
カレンの歴史を伝える語り部である酋長は、「その祖先はバビロン人でその滅亡と共に大移動を続け、朝鮮、日本にまで移住した」と言う記録を持っている。(『日本人のル-ツ』加治木義博著より)
もし日本民族とカレン人が同じ源流にあるのだとすれば、日本民族の先祖もまたバビロン人であると言えるであろう。

 
カレン人は彼らの言い伝わる歴史によると、バビロンから移動し朝鮮半島に入った後、中国の江南に行ったが、ここで圧迫されたのでビルマ、タイに逃げたと言う。
これは中国の正史にもちゃんと記録されている。正史によると、前漢を乗っ取った王奔(おうもう)は、高句麗を討ってその農民を江南に強制移住させている。農民は当然種子や技術も持っていく。これがカレン人である。日本の米や文化に近いものが江南にあるのも当然である。

同じ米や技術があるから「日本民族の源郷は中国江南地方ではないか」という説もあるのだが、すでに見て来たカレン人の足跡からこれは説明できる。
 
ではカレンと共通の先祖がいるとして、バビロンから来たとするとその先祖は何者だったのか?