時計仕掛けのオレンジ
西欧において、16世紀まで宗教と科学は不可分のものだった。
『神学大全』は今日読んでも面白い本である。
しかし自然科学の発達にはかかる宗教や哲学の干渉から切り離される必要があった。
ガリレオの「それでも地球は回る」と言うつぶやきに象徴されるように、キリスト教の権威が科学の発展を、その狭い知見によって迫害、排斥するようになった時、科学はこれらの宗教権威から独立しなければならなかった。
かれらは、宇宙は大きな機械のようなものだと見なしたのである。宇宙の全情報があって、法則性が分かっていれば、宇宙の終わりまで予測できると彼らは考えた。しかしなんと間違っていた事か!
20世紀の後半、ミクロの世界の研究は不確定原理の登場を促した。
CGユングは『シンクロシニティー理論』を唱え、ルパート・シェルドレイクは『形態形成因果説』を唱えた。ホーキング達はビックバンの前に何が存在したのか?考え初め、一部の物理学者は『人間原理』説を唱えるに至った。
すなわち、一度宗教から分離した自然科学が再び宗教へと回帰しているのである。
すなわち、科学は今、パラダイム・シフトを経験しているのだ。
しかし瑞々しく豊けき心が、機械論的社会に反抗するのは当然であると言える。
20世紀の自然科学は「科学が発達すれば、人類は幸福になる」という幻想を振りまいていた。
この幻想は多くの人の心に宿っていたように思う。
科学万能主義という幻想である。
なるほど科学の発達は人類の幸福に不可欠ではあるが、それだけで人が幸福を築ける訳ではないのだ。
だからこそ、宗教が必要なのである。