コロボックル・アイヌ論争の後に・・・

今日の歴史学、考古学会においても、日本民族の先祖については判明していない。
 
 明治維新が起こり、新しい夜明けを迎えた日本にエドワード・S・モースEdward Sylvester Morse1838- 1925)が1877年に来日した。
 東大で教鞭をとり、すぐに大森貝塚を発見し、『日本における古代人種の 痕跡 』でプレアイヌ人論を唱えた。
 これに対してHVシ-ボルトやJミルン(日本地震学育ての親)が反論し、いわゆる「コロボックル・アイヌ論争」に火がついた。しかしこの論争の焦点は、日本民族の先住民は誰か?と言うもので、いずれにせよこの先住民を後からきた現日本民族の先祖の手で 駆逐  したという大要においては一致していた
 では、その後から入って来た民族はどこから来たのか?
 
 いろいろな説があるので少し見てみよう
 
大正時代、清野謙次らは人骨の研究から『日本原人論』を唱えた。つまり旧石器人がそのまま日本民族の先祖だと言うのである。しかしこれは根拠に乏しく多様な反論がなされた。神話、伝説、民話、儀礼などの比較研究によって民族の原郷を探す方法が文化人類学民俗学によって採られて来た。津田左右吉、鳥居竜蔵らがさまざまな説を打ち立てた後、民俗学者柳田国男折口信夫はシンポジウム海上の道」昭和36年)で日本文化の原郷を南方であるとした。
  海外との交流がすすむにつれ、語彙(ごい)や文法の研究により、言語学的アプロ-チがはじまるのは必須といえる。朝鮮語と比較したW・アストン、琉球語のb・チエンバレン、アイヌ語のJ・バチェラ-などの研究の後、金沢床三朗の『日韓両国語同系論』(明治42)などが出、アリアン語やインド・ヨ-ロッパ語との比較研究もなされた。その後もさまざまな説が出たが、北方説や南方説に対して昭和初期、亀井貫一郎が騎馬民族説」を打ち出した。亀井の所論は説得力に富む壮大なもので、日本民族の先祖はツング-ス系モンゴロイドだとした。
 その後昭和28年、江上波夫らによるより画期的な騎馬民族征服王朝説  が提唱された。昭和42年の「シンポジウム日本国家の起源」で江上は、南朝鮮から北九州への騎馬民族の侵入が4C前半になされたと言っている。しかしむろんのこと江上説への反論も多く、以後これらの論争の決着は今日でもついていないのである。
 日本民族の祖先はどこからきたか?北からか、南からか、西からか、民族のル-ツは依然として謎に包まれている・・・・。
 
つまりまだ分かっていないのである。
しかし、賢明なる読者はすでに答えを察知したはずである。