実在するものを虚体であると述べるのは、真理に反しているのだという事

d y h * r 4 8 * さんの書いた記事に次のようなものがある。
 


 『スッタ・ニパータ』を始めとする初期仏典の中には、悟ったあとの釈迦に、時折、「悪魔」が登場し、釈迦に語りかけてくる場面がある。仏典における「悪魔」というものは、実は、「悪魔」を「煩悩」という言葉に置き換えたら、その内容が、もっと見えてくるような気もする。

 伝承によれば、釈迦が悟ったあとにも、「悪魔」、すなわち「煩悩」が現われてくる。ということは、釈迦は7年間の修行で一切の煩悩をことごとく根絶したとするよりは、釈迦が悟ったあとでも、時折、「悪魔」が出現し、そのつど、その煩悩なるものを制御し滅していたのではないのかと
 


つまり、d y h * r 4 8 * さんは、「悪魔」と言う言葉を「煩悩」とと言う言葉に置き換えて、理解しようとしている。
この還元主義は、東大の東洋哲学の教授であった故、中村元氏もその著作において述べていた。
 
しかし、私の言いたいのは、これは、そのまま理解すべきである・・・と言う事である。
すなわち仏教経典悪魔相応部において記録される悪魔ナムチは、「煩悩」の事などではなく、実在する霊的存在であり、実際に釈迦に働きかけていたのであろうと言う事だ。
 
この場合、20世紀中ごろ、唯物思想の危険性を指摘し、米国南部を講演して回った、カソリック作家F・オコナーの次の言葉が適切である。
 
私が言おうとしているのは、悪魔が実在しているのだと言う事です。
それを何か別の心理に言い換えて見たり、還元したりする事は事実に反してしまう。
悪魔は実在しており、
現代人は、肩の上で、悪魔が笑っていたも気付かないだけなのです」
 
短編の名手としてしられたオコナーは若く死んだが、天才型の人物であり、近現代に生まれた預言者の一人である。
 
さて、多くの人にとって悪魔の実在を認め、信じる事は不安と恐怖心を感じさせるものである。
私も昔はそうだった。
しかし、それが真実なのである。
宗教改革のルターの日記には到る所で、悪魔との対話が記録されている。
 
ところで『原始仏典』の釈迦も
新約聖書』のイエスキリストも
言葉によって悪魔を退けている。
 
ゆえに、悪魔を退ける力とは、真理に基づく言葉なのである。